インタビュー:中村洋子さん ~不自由を自由にしたい、楽しく!
香蘭女子短期大学 保育学科 准教授。未来の保育者さんを育てるお仕事です。
また、地元・宗像での多世代交流会『バー洋子』のママ(←お酌はしません!)や、ママ向けの講座『すこやかライフサポーター』の代表、『未来の福岡の運動会』のプランナー…。
さらに、スペシャルニーズをもつお子さんの子育て経験から、「地域での子育て・人育て」「恩返しではなく“ 恩送り ”」「みんなでみんなを支えあう社会」などのテーマで講演する機会も増えています。
聞き手:イノウエ エミ
撮影 : 橘 ちひろ
◆「ハイジみたい」と言われます
―――洋子さんって、「むきだし」のイメージです。膜に包まれてなくて、じかにさわれるような。
あー、そうかも。ここのところ立て続けに言われるのは、「ハイジみたい」って。
―――クララを助けたいんだ(笑)。
そうそう、で、ロッテンマイヤーさんみたいな人が苦手。白パンで大喜び(笑)。そして、まわりにペーターが多いんですよ。「しょうがないなあ」って助けてくれる。
―――体育大学のご出身ですが、何が専門だったんですか?
陸上です。200mとか400mの短距離なんですけど、私、始めたのは高校からなんですよ。
―――陸上を始めたのが?
ちゃんと運動部に入ったのが。
一応、中学のころはバスケ部だったんですけど、あんまり記憶がなくて。中学校は本当に、トゥーーーって感じで終わった(笑)(←手を使ったジェスチャーつき)。
―――低空飛行だったんですね (←ジェスチャーの解釈 (笑))。
高校で、顧問の先生のやや強引な勧誘で陸上部に入って。そこそこ記録も出て。練習すればちゃんと結果が出るんだと初めて知りました。
でも、大学に入ると、もっとすごい人がいっぱいいるんですよ。オリンピックに出る人とか、ジュニアの世界大会に出る人とか。それで一回、落ち込んで。
―――ちょっとつらいですね。
でも、仲間にはほんっとうに恵まれて、今もすごく仲がいいんですよ。
今では管理職についていたり、社長さんだったり、それぞれ役職はあるけど、仲間で集まるとみんなほんとにダメダメダメ子になれる(笑)。そういう関係が作れるのは体育会系独特なのかもしれない。
―――部活とか、競技とか、それこそむき出しの場ですよね。一生懸命やってるから、弱いところもイヤなところも、お互いに全部さらけ出さざるを得ない。それを経ての今ですね。
そう~、ケンカもすごかったし。「もう無理だね」とか言いながらもずっと一緒にいる。水に流せる。そんな関係。
◆ グランドマネージャー出身、戦略家?
大学で陸上をやる中で、自分はどうも ”みんなが見える” ことに気がついた。「この人いま、調子がいい」とか、「この人にはこういう言い方のほうがいいな」とか。それで、グランドマネージャーになりました。
―――マネージャーさんですか?
自分も走るんだけど、先生と選手の仲立ちをしながら練習メニューを決めたり、合宿先の手配をしたり、ケガをした人のフォローに入ったり。
―――そういうのを、学生がやるんですね!
そう。あの頃は何でも現金決済だったから、(合宿の費用の)300万円を持って、200人くらい連れて移動したりね~。そのころから、みんなの前で話をするような機会もありましたね。
―――かなり納得! 洋子さんって、体育会系なんだけど、” 体育会系ど真ん中 ” とは、ちょっと違うイメージだから。行動的で情熱的で、いつも人に囲まれてるけど、どこか理性的。
ちょっと冷めてるんですよ私。声を荒げるとか、ほとんどないんですよね。
―――カッとなること、ないですか?
カッとなってる人見ると、「どうしてこんなに怒るんだろう?」と思っちゃう。
―――それも冷めた目で観察してるんですね(笑)。
いわゆる女子的に「共感してほしい」とかは?
うーん。「共感してもらえるにはどうしたらいいだろう?」って考える。
―――戦略的!
戦略、好きです(笑)。
学生を見てて、「この子、今ちょっと声かけたほうがいいな」って子はわかるんです。それで「ちょっとおいで~」って昼休みに呼んでみたら「実は彼氏と別れて…(T T)」とか言うから、「あー そっちか、じゃ、そこの甘いおやつでも食べて行き」とか。
でも、基本は鈍感なんですよね。お酌をしなきゃとか、そういうのは気が回らない。
―――大皿の食べ物をみんなに取り分けてあげたりとか…
全然、ないです。やったとしても、たいがいうまくいかない(笑)。「ああ~!」ってこぼす(笑)。
◆ 理想は「詠みびと知らず」
日本人独特の同調とか、かなり苦手です。
体育大でも、厳しい決まりがたくさんあったんですよ。練習が4時からだったら、1年生は1時間前にグランドに行って、立って待ってなきゃいけないとか。
―――1時間 立ったまま!?
街なかで先輩が見えたら、その場で動かずにひたすら何度も頭を下げて挨拶し続けるとか。
―――あー、それは私の部活にもありました! そういう時代でしたね。
意味がわからないことをしたくないんです。
練習の準備が済んだあと1時間立たせるより、コンディション整えるほうが合理的で効率的。町なかで遠くから「こんにちは、こんにちは」って大声で連呼されるのは、すごく恥ずかしい(笑)。
だから3年生になったとき、「こういうの、いらなくない?」と言いました。
―――そうやって新しいことをすると、周りからは反発も出ますよね?
そうですね、「うまくいかんわな」ってことのほうが多いかもしれませんね。そういうときは「これはやめとこう、でも これとこれだけは変えよう」というふうに一歩でも前に進める方法を探したい。
――― 一般的に、反発が怖いから言い出せないことも多いんじゃないかと思うんですが。
それがね~、あんまりないの。
このあいだ、生まれて初めて占い師さんに見てもらったんですけど、手相を見ても星を見ても、私は「やりたい」と思ってから動き出すまでが異様に短い人なんですって!
―――わかる気がする(笑)。
確かに「えー、どうしよう」「私にはできないかも」とか、考えない。
なぜかというと、そこに「私が」があまりないらしく。私の存在が必要なくても別にいいの。
「世の中、これがあったらいいな」、それが実現すればいいので。他の誰かがやってたらスッと引いたり、「じゃあ私は広めるほうをやるね」ってときもある。
宗像で「すこやかライフサポーター」という団体があって、12年続いてるんですけど。
―――洋子さんは立ち上げの時からのメンバーなんですよね。
はい、2期目からは代表もやってます。育児期のママ向けの講座で、ママ自身が講師もつとめるのが特色なんですね。
でも自分の子どもが大きくなってくると、講師が声高らかに話をしたとしても、参加者の皆さんが「最近の育児はそうじゃないですよ?」という感じにもなって、指導者と参加者との間に微妙なジェネレーションギャップができるので、同世代のママさんたちが指導者になるほうが良いのではないか、と思い、リレーションリーダーシップ(代替わり)をとりながらやってきました。
―――すこやかライフサポーターさんでは、今年度は「乳がんヨガ」を主催されてますよね。
今年はそれに特化しています。形ややり方が変わることにも抵抗は全然ないですから。
でも、この団体は来年度で閉じようと思っています。
―――12年続けてきたものを!?
宗像には、お母さんたちがやっている講座もたくさん増えたし、社会もそういうお母さんたちを支援する雰囲気になってますから。もう、私がやる理由がない。
―――役割を終えた、ということですか。
そう。【詠みびと知らず】ってありますよね。
―――有名な和歌だけど、作者がわからない…。
みんながいいねと思っていたら、ずっと残るんですよね。誰の団体とか作品とかはどうでもいい。「そのもの」が大事。この言葉をずっと意識しています。
◆ 原点、日々忙しかった「バン」時代
―――子どもの頃、「バン」と呼ばれてたそうですね(笑)。番長のバン。これほど納得感のあるあだ名もなかなかない(笑)。
やたら正義感が強くて、いじめてる子を見たら追いかけてぶん殴る子でした。足も速いし口は達者だし、もう、手がつけられなかったと思います。
―――目に浮かぶなあ~(笑)。
女子には絶大なる人気があったんですよ。
小さいころ大病をして身体に傷をもっていたり、成長がゆっくりの可愛らしい女の子をからかう男の子がいた。私、その男子を成敗してしまいましたからね。いまだにその時の女友達からは「洋子ちゃん、あのとき助けてくれたよ」って言われます。実は私は覚えてないんですけど。
―――成敗された子も覚えてるんでしょうね。洋子さんだけが覚えてない(笑)。
その頃は私、日々忙しかったから(笑)。
―――成敗ついでに物を壊しちゃったりして、お母さんはちょくちょく学校に呼ばれてたとか。
母は悩んでたと思います。なんせ茶道の師範だったから、女の子らしく育てたかったんじゃないかな。綺麗な服を着せて、ピアノを習わせて。でもピアノも落ち着きがない。
指がよく動くので小さいころから速くて難しい曲が弾けてたんですけど、発表会で弾いているうちにピアノのはしっこまで指が行って、そのまま椅子から落ちたこともあります(笑)。
―――(爆笑) 最高!
「ああ!」って。あわてて戻って(笑)。
―――しつけや教育って、その子が本来もっている資質を社会の常識の枠内におさめるような面があるじゃないですか。その過程で自己肯定感をへし折られたり・・・。
もちろん、私にも何度もありました。中学校では「みんなみたいにはできないな」ってことが増えたり…勉強とかね。大学でも「ここは私の場所じゃないな」と思った時期もある。
でも、そのたびに何か「これならできる」っていうアンテナがピピッと…。
―――それが洋子さんの「生きる力」なんでしょうね。
父がエビの研究者で、エビが大好きで、エビを見ていると幸せで、エビが分類できたらこの上ない喜びで…っていう人で(笑)。その姿は私のロールモデルになってる部分があると思います。
◆ 気づいたら 違う地点にたどりついていた
娘さん(次女)は「歌舞伎メイクアップ症候群」といって、約3万2千人に1人のDNAの配置が違う障がいを持って生まれました。約3年間、口から飲むことができず、鼻から胃にかけて細い管を通して点滴のような授乳をしていました。
―――洋子さんがfacebookに書いていた、
「スペシャルニーズのある次女を産んで、預ける先がなかったから、仕事を辞めざるを得なかった」
その一文にハッとさせられたんです。
洋子さんがそのとき仕事を辞めざるを得なかったのは、「スペシャルニーズのある子を産んだから」ではなくて、「預ける先がなかったから」。預け先があれば辞める必要はなかったんですよね。
そのとき初めて知ったんです。どこも預かってくれないんだ、って。「じゃあ退職ですね」って。
わずかながら退職金があったんですけど、小さい長女と生まれたばかりの次女と三人で家にこもって、外に出られないでしょ。退職金、全部ネットオークションに使っちゃったんです。1円残らず。
―――それは、いったい何を買ったのでしょう…。
覚えてないんです、何に使ったのかも。
この話を学生にすると、すごくびっくりするみたい。「信じられない! いつも元気で明るい先生が、産後うつになって自暴自棄になってたなんて」って。
外から見えてる姿とはまた違うんですよね。
本当に、育児ひとつとってみても、一歩レールを外れると選択肢があまりにも少ないんですよ。みんなそこは知らない。知らないことは考えようがない。
―――人間、知らないことはなかなか想像できないんですよね。
洋子さんのような人が組織にいると、新しい風を呼び込んでくれますね。
「自分がお母さんになったとき、先生の話を思い出すと思います」と言われると、そのために私はここにいるのかな、とも思うんですけど。
次女を産んでいったん退職して、何年かして非常勤として戻って、それからまた何年かしてご縁があって常勤職に戻ることができた。本当にありがたくて「やっと戻ってこられた」と思ったんですね。
でも・・・最近思うのは、同じ地点に戻ったようで、実は違うんですよね。
辞めて戻ってくるまでの間に私はいろんな経験をして、今は違うところにいるんだなって。
――― 「未来の福岡の運動会」は、洋子さんにぴったりのプロジェクトだと思いました。
2019年3月16・17日に第1回開催されました。楽しいその模様、どうぞ以下のイベントページでごらんください! ↓↓↓
https://www.facebook.com/未来の福岡の運動会-333826430567609/
私は運動会が大好きで活躍するタイプだったんですけど(笑)、次女を見ていると、たとえば組体操では端っこで先生とペアになって、なんかちょっと組体操「っぽい」ことをしてるんですね。みんなが作った3段ピラミッドの横にちょっと手を添えてるだけ、とか。
なんか、モヤッとするものがあったんです。
―――モヤッとする気持ち、大事ですよね。
「みらいの運動会」では、たとえばVRで年齢や体格をフラットにするんです。たとえば、よちよち歩きの子には広い野っぱらが見えていて、スッススッス進める。一方、すごい運動できる人は、崖ギリッギリをそろそろ行かなきゃいけない、とか。みんな互角の勝負ができるんです。
―――おもしろい!
楽しいでしょ?
次女にもひとつくらい、みんなと同じようにできるものはないんだろうか?と思いつつずっと過ごしてきた。「これなら!」って。
テクノロジーがみんなをつなげる力になるかもしれない。
「これ絶対福岡でもやりたい!」と思って、”テクノロジーを社会実装する” という研究と絡めて、9月に九大の公募に出したら見事に通りました! でも、それでもらった予算は、3月末までに使わなきゃいけないらしくって。
―――えーっ、短っ!
それからガッシガシ進めて。このプロジェクト、5人でやってるんですけど、私たち2~3回しか集まってないんですよ。あとはメッセンジャーでのやりとり。
―――すごい!!
みんな各々の役割に置いてスペシャリストだからできました。誰に話しても「この人数で!」と驚かれます。メンバーに感謝!!
―――なんて、洋子さんの馬力が生かせるプロジェクトでしょう~!
あー、馬力、よく言われます(笑)。
―――その馬力を生かさない手はないですよね!
運動会、ぴったりだなあ。洋子さんの体育の知識も生かせるし、それを通じて人や地域を結びつけたりもできる。楽しいし。
楽しくするのが得意なんですよ。そして心が自由でないとダメなんですよ。自分も、人も。
―――ハイジだから。
そうそう、そうでした(笑)。クララを助けたいんですよ。
困ってる人や、一般的とされる生き方のちょっとレールから外れてる人に「ほんとは、そんなに外れてはいないよね」って。そういう人の「ガイドランナー(伴走者)」になりたいです。
足りないところを補えば、社会を変えれば、そういう人の不自由さは自由になる。そう思います。
(おわり。)
編集後記
佐賀県小城市でのご講演前にインタビューさせていただいて、このエネルギッシュさです! さすがすばらしい体力、そしてトーク力!
洋子さんのお話を聞いていると、くっきりとした映像が頭の中で動くんですよね。落語を聞いたくらい笑って、それだけじゃなく心に残るお話でした。
不自由を自由に、凸凹をフラットに。きっとこれからまた、【洋子さん発】の軽やかで楽しい、そしてなにか大きなうねりを伴う展開が起こりそうな気がしています。 (イノウエエミ)
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