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Ars longa, vita brevis

坂本龍一氏が、長い闘病の末に亡くなりました。

スイスでも「教授」の死去は大きく報じられたようで、つい先日には、訃報を伝えるドイツ語の新聞記事を、こちらに住む方のお宅を訪ねた際に切り抜きでもらいました。
その際、「もしかして君はこの人と親戚?」と聞かれましたが、残念ながら違います!

何しろ漢字で書くと自分とは一字しか違わないので、生前この人の名前をテレビやら新聞記事やらで目にすると、いつもちょっと身構えたものです。
しかし今回のことで、これほど頻繁に見るようになると、さすがにそういうこともなくなりました。

さて、坂本龍一氏が生前に好んで引用していたというラテン語の格言

Ars longa, vita brevis 芸術は長く、人生は短し

が紹介されたことで、このフレーズが改めて一般にもよく知られるようになったかと思います。

ラテン語なので、この格言も古代ローマ由来?と思われがちですが、
実はそれよりもずっと古い、古代ギリシャの格言をラテン語訳したものです。

そしてその格言を残したのは、医師として名高いヒポクラテス(前460頃~前370頃)だとされています。

ちなみに古代ギリシャ語だと、

『ὁ βίος βραχύς, ἡ δὲ τέχνη μακρή』

で、さらにいくつかの節が続きます。
この先が気になる方はお調べ下さい・・

少なくとも、この節の中でヒポクラテスの言うところは、
「(医学の)技(わざ)を身につけるには長い時間がかかる。その一方で、人生は短い」

で、ラテン語に訳された当時も、意味合いはほとんど同じだったはずです。
古代ギリシャ語の「τέχνη テクネー」をラテン語訳すると、「ars アルス」となって、さらには英語の「アート art」の語源になったのは言うまでもありませんが、これらはどちらも現代の我々が思い浮かべる「芸術」だけでなく、「わざ(業・技)、芸」をひっくるめて指したのでした。

平たく言うと、人間の「手」が加わってできあがるものに関わる知識や、それを生み出す能力のことは、みなそう呼んだわけです。
(ギリシャ語の方に「テ」の音があるのは全くの偶然としても)

ですから、土木建築彫刻はもちろんのこと、ヒポクラテスの専門である医術なども「テクネー」「アルス」となることに何の不自然さもありません。

いま、「医学」でなく「医術」と書きましたが、私たちが「術」あるいは「技」の漢字から連想する活動領域は、概ね全てが「テクネー」「アルス」にあたると思って、まず大丈夫でしょう。
必ずしも形ある「もの」に結実しなくても、例えば弁論術記憶術といったものも、「術」としてこちらへ仲間入りします。

かつての日本では、「技」に関わる「アルス」を「技芸」と訳したこともありました。

「芸術」という言葉、概念を私たちが今の感覚で使うようになったのは、西洋の近代になってからなので、古代に遡って「芸術」という言葉を安易に訳語に当てると、「医学は芸術である」とかいった文章をこしらえてしまわないとも限りません。
(「芸術的」な執刀をするお医者さんは確かにいますよね・・ここまで来るともはや言葉遊び!)

「『芸術』とは何か?」
「何をもって『芸術』とするか?」
「『芸術』という概念はどのように変化してきたか?」

ここらの話題は、本来ならば私の専門領域であるはずながら、まあお恥ずかしいことに最近は、とんとおさらばしてしまっています。

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芸術とは何ぞや、という問いはさて置いても、格言の後半の
「人生は短い」については、このところますますそうだと実感します。

身近に感じるところでは、なんと一日の過ぎるのが速いこと。
ついこの間、年が明けたばかりだと思ったのに・・

そもそも、私たちに与えられている時間は有限です。

練習すべき曲、あるいは練習したい曲はかなりあるのに、なかなかはかどりません。
作曲・編曲のネタは、スケッチ状態のものばかり、溜まっていきます。
図書館に行って気になる資料や楽譜、論文などを見つけてコピー・スキャンしても、それらを読み込んで自分の頭に入れるまでに、もう次の新しいものが続々と出てきて、そちらに気を取られていたら、もう忘れてしまっている始末。

結果、クラウド上でも「積読」状態が続いて久しいです。

実のところも、こうして記事を書いている時間さえも、ちょっと勿体ないと思うくらいで(こら!)、正直自分の手には負えないなと思うことさえあります。

ですが、それとは裏腹に、私はコロナ禍前のある時期から、努めて時間に追われているそぶりを見せることはなくりました。

どんなにあがいたって、限りがあるという意味では、人生は短いものなのです。

無理に自分を追い込むくらいに、タスクをただただ増やすより、例えちょっとした「テクネー」「アルス」でも、それができるようになった、あるいはその真髄に近づけたということに喜びを覚えつつ、毎日をできるだけ楽しんで生きよう・・と。

所詮は綺麗ごとかもしれませんけども、ただでさえ情報過多のこの時代、そう思って過ごしていかないと、とてもやってられないですよね!


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