見出し画像

追憶。ラジオのじかん。

電話が鳴る。
やれんのか、おい!
やりますよ。もちろん。飛龍革命だ!

相手は泣く子も黙るラジオ界のビッグ・ボス、FM yokohama。僕の青春のラジオ局だ。相手にとって不足なし。見とけよ、マルコ。カッコイイとは、こういうことさ。

茨城の小さな村で育った10代の僕が一番夢中になったラジオ局がFM yokohamaだった。「ジョイフル山新」で手に入れた巨大なアンテナを、母親に見つからないように裏庭の屋根に設置。横浜に向けて(注:自分調べ)回転させたら、レコパルじゃなくて、ステーションでエアチェック。ドキドキしながらラジカセのダイヤルを84.7に合わせる。けれど、クリアな音で聞こえてくるのはなぜかいつもハングル語なのだった。それでもノイズの向こうに、小さく聞こえる杉山清貴と角松敏生。鈴木英人が描くイラストと巨大なアンテナの向こう側には、いつだってきらきらと光る夏の匂いがあったのだ。

そんな憧れのラジオ局の人気番組「Lucky me」に電話で出演することを家族に告白したのは、前日のことだ。ギリギリまで内緒にしていたのは、口に出してしまったら親戚中で大騒ぎになって、小心者の僕はどうしたってそのプレッシャーに勝てる気がしなかったからだった。

画像2

出演する時間に、番組名。予想通り親戚たちの間で、あっという間に情報は拡散していく。電波よりも早いスピードで。ペンギン村みたいな小さな村で育った「あの子」が公共の電波に乗せてなにやら話すらしい。当然、大騒ぎだ。「小さな頃からなんかやる子だと思っていた」とか「あいつはオレが育てた」とか「ロケット滑り台でかっぱえびせんを食べていた」とか。

実家の母親は「どうやって聞くんだ、うちのラジオじゃ聞こえない」と鬼気迫る声で僕を責める。「84.7だってば」「ああ聞こえたよ、84.3ね?」 それは、 NHKのラジオドラマだ。radikoの存在を教えて30分。ようやく聞き方を覚えたみたいだ。いつの間にか「このアプリはすごい。産業革命だ」と、radikoの話で盛り上がる母親。あれ、僕の話は?

本番30分前。異常に緊張する僕。辻さん、江國さん、冷静と情熱のあいだってどこ? 「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」。ああ、そうか。なるほどね。ディレクターのジュンさんからは「固定電話でお願いしますね」と言われていたので、埃だらけの親機に、自らのスマホで電話をしてみる。右手にスマホ、左手に親機。沢田研二もびっくりだ。

マイクテス、マイクテス。

僕は、できる限り冷静に振る舞っているつもりだった。それでも緊張に揺れまくる僕の目の奥にいち早く気付いた下の子供が、急に部屋でリフティングを始めるのだった。ねえ知ってる? それは名波のサインボールなんだよ。ああ、思えば遠くへきたもんだ。

画像3

電話が鳴る。
やれんのか、おい!
やりますよ。もちろん!

電話の先に、パーソナリティのKanaさんの声が聞こえた。

うわずる声、震えるのどぼとけ。頭の中では、なぜかカルロストシキが君は1000%を歌っている。昨日の夜、リハーサル気分で「ジャパニーズ・シティポップ80s」なんて聞かなきゃよかった。

マイクテス、マイクテス。

びっしょりと汗に濡れた受話器。なんだか遠くでKanaさんの声が聞こえる。

なんの話だっけ? かっぱえびせん? ペンギン村? あ、違う。anna magazineの妄想旅特集の話だ。

懸命にトーンを抑えて、昨日の晩に用意した原稿を淡々と読む僕。決して40デシベルを超えてはいけない。緊張がばれてしまったら一巻の終わりだ。追い込まれるほどに、頭の中に鳴り響き続けるカルロスの声。ああせめて「踊ろよフィッシュ」にして欲しかった。達郎、万歳。

マイクテス、マイクテス。

「須藤さんのnote、面白いですねー!」
あれ、台本にない質問。なんだっけ、それ? 

僕はうれしかったんだ。ジュンさんやKanaさんが、僕のことを事前に調べていてくれたこと。そして、番組を構成するための「パーツ」じゃなくって、僕という「個人」をちゃんと見ていてくれたことが。番組にゲスト出演した人は、星の数ほどいるだろう。けど、僕にとっては、一期一会、一世一代の晴れ舞台だ。なにしろペンギン村を代表してるのだ。(注:自分調べ)。誰かの人生の「小さなドラマ」を、ちゃんと大切にしてくれている。なんて素敵な仕事の仕方なんだろう。ああ僕もそんな風に「小さなつながり」を大切に仕事したい、そう強く思ったのだった。

すっかりしどろもどろになった僕は、Kanaさんの巧みな言葉に導かれ、抑えていた感情の防波堤が完全に決壊したのだった。60デシベル。マディソン郡の橋だ。カリフォルニア・ドリーミンだ。溢れた感情は単純にこぼれる涙なんだし、止めずに泣いて枯れるまでほっておいてくれ。ねえ? リョージさん。それ以降の記憶は、もはやおぼろげだ。

画像2

気力を振り絞り、僕は震える手で自撮りをする。どうしても記録しておかなきゃ。気分はグッドモーニング・ベトナムのロビン・ウィリアムス。でもそこに写っていたのは、散らかった子供部屋の親機を力強く握りしめ、固まった笑顔を見せる壮年の日常なのだった。

マイクテス、マイクテス。

僕はいま、大役をようやく終えたんだ。リビングに戻る。生放送でも数分のタイムラグがあるみたいで、ラジオではまだ僕が自分のことをぼそぼそと低い声で喋っていた。まるで、真夏の海水浴場で聞こえるモノラルのラジオみたい。「飛べない豚は、ただの豚だ」。ねえ、マルコ。そうだよね。ああ、カツ丼が食べたい。渋谷の「瑞兆」の甘いタレがたっぷりかかったカツ丼。

母親からのメールが届いた。

「亮、パーソナリティの女の人の次に素晴らしかったよ」

そりゃそうだよ、だって出演者は2人だけだもの。なんだかすこし元気を取り戻した僕なのだった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?