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意味はなくても、意思は伝わる。

どうしても、というわけじゃないけれど、アメリカで中華料理を食べてフォーチュン・クッキーがなかったら、ちょっと切なくなる。

クッキーをバリバリと割って、中から紙を取り出し、おみくじに書かれた文字をちらりと見る。ちなみに僕は、クッキーも食べる。ひと口だけ。それからコップに残った青島ビールを飲みほす。なんだか意味のわからない言葉の「余白」は、適当に妄想で埋めておくことにする。この場合、言葉がシンプルだったり、文法がいい加減だったり、とにかく意味がわからないほど、ありがたみが増すというものだ。「人生はチョコレートの箱」とか「俺にしゃべってんのか?」とか。

実はこのフォーチュン・クッキーは「アメリカのチャイニーズレストラン」のオリジナルのサービスだ。本場・中国で提供されることはほとんどない。しかもその発祥は、江戸時代から日本で親しまれている「辻占煎餅」だ。いろいろフェイントが過ぎる。そりゃあ、マンダリンだって怒るよね。

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それでも僕は、フォーチュン・クッキーが大好きだ。おみくじに印刷されている言葉に、きっとそれほど意味はない。使い古された格言だったり、思いつきで書いた言葉だったり。多分その言葉が伝えたいのは、ほんのちょっとした「心の揺らぎ」なんだと思う。だから、大事なのは言葉を受け取る人の「気分」と「タイミング」。味の濃い中華料理を、みんなでお腹いっぱい食べた後。ああ、なんて最高のシチュエーション。そんな感じでフォーチュン・クッキーは、いつでも絶妙なタイミングで現れては、旅に疲れた僕らの背中を優しく後押ししてくれるのだ。小さな「言葉」のチカラでね。うん、なんだかまた頑張れる気がしてきた。

言葉はつまり、解釈次第ってことなのだ。意味はわからなくても、意思は伝わる。なんとなく。フォーチュン・クッキーと旅人、ドン・ファンとカスタネダ、試みの地平線と僕、なのである。Be Psitive。





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