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計画通り進まない1週間

スタートは先週の日曜日だった。
深夜0時、眠りについていると妻が叫ぶ。

「おばあちゃんが心臓止まったと連絡があったので行って来る」

妻の祖母は95歳、1週間くらい前から肺炎で入院をしていた。
退院は難しいかも‥と言われていたので来る時が来たなという感じ。

そして2時ころ、亡くなったとの連絡が。
90代でも1人暮らし、娘である妻の母親が毎日会いに行っていたが、介護保険も使わず、生活し続けた姿は立派だと思う。

さて、ここから少し大変なことが。
まず、水曜日から土曜日まで家族旅行をする予定を前々から組んでいた。
ここで複雑なのは妻の心境。
お通夜が火曜日、お葬式が水曜日になったのだ。
前々から組んでいた旅行をキャンセルしなければならない。
祖母の事は悲しいがこのタイミングで‥、家族が亡くなったのに不謹慎だという声もあるだろうが、感情は抑えられない。
しかも場所は沖縄。
飛行機の手配、レンタカー、ホテル、いろいろ調整が必要。

沖縄には台風が来ていた。
そもそも飛行機が飛ぶのか、そんな心配もあった。

月曜日、沖縄行きの飛行機の欠航が決まった。
幸か不幸か、費用をかけることなくキャンセルすることが出来た。
厳密にいうと、ホテル、飛行機、レンタカー、いずれもキャンセル代は無料だった。
しかし、最寄駅から空港までの特急指定席、これの払い戻し手数料がかかった。
1枚360円の券で、払い戻し手数料220円、なかなかの手数料率であるが仕方がない。

火曜日の夜、予定していた会食をキャンセルしお通夜へ。
家族葬であったのでアットホームな感じであったが子供たちがハシャグハシャグ。
親戚の子供達も同年代であるため楽しいのであろう。

祖母ともたくさん遊んでもらったはずなのに、悲しいという感情が無いのだろうか、いや死がどういうものか分かっていないのだろうか。

悲しいという感情が無いことはないはずだ。
でも、祖母の死と悲しいという感情の結び付け方が分からないのであろう。
祖母が存命でも亡くなっても子供たちの生活はほとんど変わらない。
たまに遊んでもらったりお金もらったりして「ありがとう」くらいだろう。

人の死に対しての涙というのは、故人と自身との関わりや故人の人柄や信念のようなものを思い返し、「また会いたいな、でももう会えないんだ」、というループを自分の中で反芻しそれが涙になると思う。
まだこのループは子供達には難しいんだろうな。

そして次の日はお葬式…ということだったが火曜日の夜から私の喉の調子が悪くなった。
最近のマイブームのようなものだ、のどの痛みと咳は、と思っていたら、深夜、身体が熱い。

37.5℃。

おいおい、熱は勘弁。
妻と相談し、お葬式は欠席にし、安静にする。
幸い、熱はすぐに下がった。

子供たちは旅行を楽しみにしていた。
何とか沖縄に相当するような別案を考えなければ。

木曜日の早朝2時に関東方面へ出発。
土曜日まで家族で楽しむ。

1週間前には想像もしなかった1週間となった。

今まで予定が変わることが非常に嫌だった。
計画をし、計画通り進めること、ここに悦を感じていた。
しかし、計画通り進まないことあるよね、こんな考えを持った時に人に優しくできるようになった気がする。
計画通りじゃなくても、
「子供たちと一緒に旅行を楽しむ」という「目的」を達成出来れば手法は変えてもいいんだ。

改めて手段と目的の違いを考えてみようぜ。
という事でお休みありがとうございました。

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