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【コンサル物語】アクセンチュア誕生の歴史(前編)

1989年1月、アーサー・アンダーセン会計事務所は社内の組織を会計監査・税務サービスを担うアーサー・アンダーセンと、コンサルティングサービスを担うアンダーセン・コンサルティングに分離しました。両組織はその後10年間アンダーセン・ワールドワイドという一つ屋根の下に収まっていましたが、20世紀最後の年に完全に袂を分かちました。会計はアンダーセンとして、コンサルティングはアクセンチュアとしての道に進んでいきます。

アクセンチュアはご存じの通り、21世紀初頭のコンサルティング業界の中心を担っている一社です。会計士の様々な制約から解かれた同社は、分離独立後ますますコンサルティングサービスを拡大していきました。

一方アーサー・アンダーセン(会計事務所)はアンダーセン・コンサルティングが分離したあと、時を経ず社内に別のコンサルティング部門を設立しました。エンロン事件で会計事務所が消滅したため、新たに設立されたコンサルティング部門はBig4(Deloitte、PWC、EY、KPMG)に吸収されていきました。

20世紀末からのこのような歴史を踏まえると、アーサー・アンダーセンのコンサルティング部門独立はコンサルティングの歴史物語を語るうえで重要な出来事だったと言えます。そこで今回は、アンダーセン・コンサルティング(アクセンチュア)誕生の歴史に迫ってみたいと思います。

1951年
管理サービス部門のマネジャー、ジョセフ・グリッカウフが「Glickiac」コンピュータを披露し、パートナー陣(経営陣)に新技術への投資を承認させた。

『アクセンチュアの歩み』(アクセンチュアHPより)

アクセンチュアは、1950年代初頭にアメリカ合衆国のトップ監査法人だったアーサー・アンダーセンのビジネス&テクノロジーコンサルティング部門に由来を持つ。

『Wikipedia(日本語サイト)』

アクセンチュアは、1950年代初頭、会計事務所アーサー・アンダーセンのビジネス・テクノロジー・コンサルティング部門として、ケンタッキー州ルイビルのアプライアンス・パークにコンピュータを設置するためのフィージビリティ・スタディをゼネラル・エレクトリック社に実施したことに始まる。

『Wikipedia(英語サイト)』

「アンダーセンの問題を真に理解するためには、40年前にさかのぼり、1948年以降現在までの大手会計事務所の変化を理解する必要がある」こう語るのは、1986年までアンダーセンの監査、税務およびコンサルティング業務担当のシニア・パートナーであったビクター・ミラーである。

『ビッグ・シックス』

一般に公開されている情報によると、アクセンチュアの歴史は1950年代から始まることが多いようです。1943年にアーサー・アンダーセン会計事務所に管理会計部というコンサルティングを専門に行う部門を設立し、システムコンサルティングというサービスが形になり始めた時期ということが理由の一つだと考えられます。ただ、今回の話は更に時代を遡り、アーサー・アンダーセンがコンサルティングにどう向き合い、取り組んできたのかを見ていきたいと思います。

1913年12月、シカゴのウェスト・モンロー・ストリートにアーサー・アンダーセン会計事務所(設立時はアンダーセン・ディレイニー・アンド・カンパニー)は設立されました。設立時の告知には事務所の活動内容として、新システムの設計・構築といったコンサルティング業務をサービスの一つとすることが宣言されていました。

・貸借対照表と損益計算書の作成とその分析・解釈を含む定期的な監査
・公告用または銀行への融資申請のための財務諸表の証明
・新規事業への投資または既存事業の拡張の可否を判断するための特別な目的のための調査
・財務、原価計算および組織の新システムの設計・構築、または既存システムの刷新
・連邦所得税法に基づく報告書の作成

『THE FIRST SIXTY YEARS』

1910年代、1920年代当時、プライス・ウォーターハウス等の大手会計事務所は、会計監査を行う立場上コンサルティングへの参入を控える傾向が強かったのですが、アーサー・アンダーセンは積極的にコンサルティング事業を進めました。そこには、事務所設立者のアーサー・E・アンダーセン氏の考えがありました。

アンダーセンは、当時の職業会計士(professional accountant)はビジネス社会に対して技術的なサービスのみを提供していると見ていた。 監査は重要では あるが、それ自体は目的ではない。会計士が顧客に提供する最も重要なサービ スは監査済財務諸表の提出で終わるのではなく、むしろそこから始まるのだ。監査人が数字の背後にある営業の実態に目を向けるならば、経営者に役立つ建設的な報告書を提供することができる。アンダーセンはこう考えていた。

『闘う公認会計士』

財務諸表の数字の裏にある営業の実態に目を向け、経営者に役立つ報告書を提供する、つまりコンサルティングを重視していたといえます。そう考えると、アーサー・アンダーセンには事務所設立時からコンサルティングの潮流が始まっていたと考えることもできそうです。その潮流は1920年代に大きくなっていきました。

第二次世界大戦後のアメリカは未曽有の好景気でした。企業は事業拡大や合併に必要な資金をニューヨーク、ボストン、シカゴを中心とした銀行から調達していました。当時ニューヨークに次いで国内第2位の人口を抱えていた大都市シカゴでは、手薄な銀行団がシカゴの会計士やコンサルタントを雇い企業の財務調査等の経営分析を行っていました。

財務・経営調査報告書は通常、数年分の財務諸表が含まれており、事業開始からの売上、利益、配当、剰余金の増減などの概要が記載されていることが多かった。これらの調査をもとに、会計や業務の改善に向けた提言を行い、黒字経営の見通しについてコメントした。

財務・会計以外にも、労使関係、原材料の入手状況、工場、製品、市場など、ビジネスのさまざまな局面に踏み込んだ財務調査報告書を作成した。
これらの報告書を作成するにあたり、会社の方針とその有効性、およびそれを実行するための経営陣のパフォーマンスを調査する方法をとった。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

会計事務所にとって財務調査の様な業務は本来の会計監査業務から大きく逸脱していますが、特にアーサー・アンダーセンは設立間もない若い事務所ということもあり、事務所拡大のため果敢にこの仕事に挑戦しました。熱意ある仕事ぶりは銀行やビジネス界で事務所の評価を高める結果となり、事務所拡大は成功しました。

1920年当時の組織は、2人のパートナーと、マネージャー、スタッフ、事務員を含む54人の従業員で構成されていた。1922年にはパートナー5人、1930年には7人に増え、7人のパートナーと29人のマネージャーを含む総勢378人になった。1920年代の10年間に事務所が大きく成長したことは、1920年に約32万2000ドルであった報酬が、1929年には202万3000ドルに増加したことからもわかる。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

1920年代には財務調査等の経営コンサルティングのルーツとも言える仕事に積極的に向き合っていたアンダーセン社ですが、1929年から始まった世界恐慌で打たれたニューディール政策には、アンダーセン社のコンサルティング事業に大きな影響を与えるものがありました。それは、1933年の銀行法と連邦証券法、1934年の証券取引所法のニューディール法です。

これらの法律とそこから派生した規制等により、会計事務所のコンサルティング活動が禁止されました。ニューディールの規制により、会計事務所として留まるかコンサルティング会社に鞍替えするかの経営判断を迫られる状況になった訳です。コンサルティングに注力していたとはいえ、既に数百名の人員を抱える会計事務所に成長していたアーサー・アンダーセンにとって、コンサルティングから撤退するという判断はそれほど難しいものではありませんでした。

このような状況から、1930年代のアーサー・アンダーセンがコンサルティングに関わることはかなり限定的なものになってしまいました。それでも細々とではありましたがシステムプロジェクトへの関与は続け、後年に繋がるスキルを社内から絶やすことはなかったようです。

1933年から1934年にかけて、シカゴのレイクフロントで「進歩の世紀」と名付けられた万国博覧会が不況にもめげず開催された。この万国博覧会の収益、費用、資本支出を適切に管理するためのシステムを導入するために、私たちの会社はこのプロジェクトに参加した。

1939年から1940年にかけて、ニューヨーク市で万国博覧会が開催された。ニューヨーク万国博覧会の制御システムの導入を依頼されたとき、シカゴの「進歩の世紀」の会計システムの開発で得た経験を大いに生かすことができたのである。

この2つの万国博覧会に関連するサービスに対して会社が請求した報酬は、比較的控えめなものでした。この仕事は、社会奉仕として行われたものであり、主に公益的な観点から意義のあるものであった。

『THE FIRST SIXTY YEARS』

1930年代にはコンサルティング停滞期を迎えたアーサー・アンダーセンですが、1940年代に始まる第二次世界大戦で、軍や政府において電子データ収集や会計領域での機械化が一気に進んだことから、戦後の民間企業で同様の現象が起こることを予想しました。まだ戦争が始まったばかりの1942年には、コンサルティングを専門に行う組織「管理会計」部門を設立し、来るべき時代に向けた準備を進めていました。

そして1946年2月、コンピューターの原型モデルの一つが世の中に登場したことをきっかけに、アーサー・アンダーセンのコンサルティングは一気に進みだしました。(続く)

(参考資料)
『ビッグ・シックス』(マーク・スティーブンス著 明日山俊秀・長沢彰彦 訳)
『THE FIRST SIXTY YEARS』(ARTHUR ANDESEN & Co.)
『闘う公認会計士』(千代田邦夫)

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