空想の世界に逃げる必要がなくなった

以前は、

センチメンタルな気分になりやすく、

どこまでも空想の世界に居続けられた。



そこでは様々なストーリーが繰り広げられ、

自分が主人公だったり、

そうじゃなかったりした。


ときには老人、ときには子供、ときには動物。


それぞれのストーリーにふさわしい主役を立てて、

基本的に物悲しいタッチの空想の世界で、

話が展開していった。


その頃自分を取り巻いていた現実は、

望むものとかけ離れていて、

私は常にざわつく心と

行動を共にしていなければならなかった。


生きていることは辛く、とても面倒に感じられた。

全てが億劫で、その反面、

表面的なふるまいは

えらく情熱的に見せていた。


何かを熱心に追いかけている、

活動的な自分を印象付けるのに注力する一方で、

ひどく空しい気持ちが膨らむのを

無視できない状態だった。



それから紆余曲折があり、

今はすっかり穏やかな日常を送っている。


するとどうだろう。

自分を可愛そうな主人公に仕立て上げる

数々の名作は、

頭の中から去っていった。


日々、現実に起こっていることが、

目の前にあるだけ。


空想と現実との乖離がなくなった。

いや、

なくなった、とまではいかない。

まだ。


二つの世界の距離がずい分と縮まったのだ。


ひょっとしたら以前のほうが、

創作意欲に沸いていたかもしれない。


かわいそうな自分は、

いくらでも

物語を紡ぎだせる。


のんびり穏やかな自分は、

「かわいそうな自分を分かってほしい」と渇望していない。


ここから先は、

物悲しげな脚本家から転職して、

現実世界に即した、

建設的なお話を書く人になろうかな。






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