元不登校の実話①山村(仮名)さんの場合。後編
ご覧いただきありがとうございます!
吹田市でフリースクールを運営していますトイロです!
前回から、不登校→社会人の方と対談し、その一人一人の実話を、不登校で悩む方々へ届けようと企画を開始しております!
こちらが前編になりますので、併せてご覧ください!
今回はこの後編。
凄まじい担任との出会いが人生を狂わせ、合わない高校生活により完全引きこもりになった山村さん。
ここからどう人生が変わっていくのか。
ここを今回は書いていきたいと思います!
最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
1日が1週間に感じる毎日。
「なんて一日が長いんだろう。」
これを寝る前にいつも考えていました。
高校を退学して、家にこもるようになってから2ヶ月後。毎夜です。
最初は、ゲームをしたり、漫画を読んだりと時間が通常通りに進んでいましたが、それも2ヶ月ほどでした。
20年ほど前の当時は、インターネットなどなかったので、同じゲームをずっとやる。同じ漫画をずっと読むの繰り返し。
もう、何もすることがないからしているだけで、それが、歯磨きや入浴のようなものになっていました。
これほどつまらないものはなかったです。
テレビも、日中にやっているものに興味をもてなかったので余計にです。
勉強も苦手だったので、自分でする気は起らず、その内、ただ天井を眺めているか、部屋の隅をぼーっと眺めて、「自分は何をしているんだろう」と考えるようになりました。
これがぼくの地獄の毎日を生み出した原因でした。
「生きている意味」このワードは死をも連想させる。
それから、「自分は何のために生きているんだろう」と思うようになりました。
引きこもって半年以上が経った時です。
そこから、長い一日をその考えが独占していきます。
そうなると、思考できる間は辛すぎて、現実逃避に走りました。
また、同じゲームをひたすらやり始め、できるだけ寝る時間を増やすという生活になりました。
死にたい。死にたい。死にたい。
何もしていないときは、これがループしていました。
母は当時のぼくを振り返って、「目がうつろで、その内犯罪を犯すんじゃないかと冷や冷やしてた。」と会うたびに今でも言っています。
きっかけは前触れもなく。
そんな苦しく辛い日が2年以上続いたある日、父がマウンテンバイクを持って帰ってきました。
ぼくの自転車は使われていないまま放置されていたので、もうさび付いてぼろぼろだったからだそうです。
全く忘れていましたが、ぼくの19度目の誕生日でした。
なぜかその時、無性にそのマウンテンバイクを見てみたくなりました。
あの時の自分の直感に従っていなければ、今は無かったと思います。
そして、2年ぶりに玄関の扉を開けてちらっとその車体をみました。
ぼくが好きだった青色で、一度、中学生の時におねだりしたものとそっくりでした。
その時、「あんなこと覚えていたんだ。」
と真っ先に言葉として出てきました。
少し微笑みながら、リビングに行く途中に気づきました。
「お母さんも、お父さんもぼくのことをいつも考えていてくれてたんだ。ひどいことも言ったし、悪態もついた。迷惑かけるだけだから、もう見捨てられたと思っていた。ぼくは生きる意味があった。お母さんとお父さんが待ってくれている。」
この瞬間、ぼくはリビングに駆け込んで、泣き叫びました。
あのマウンテンバイクには、母と父とぼくの紛れもない、楽しかった過去があったことを思い出させてくれました。
何年もの苦しみが吐き出され、何年分のごめんなさいが溢れ出しました。
母は、黙って泣いているぼくを抱きしめて、父は、ずっと壁の方を向いて天井を見上げていました。
昨日までのぼくは本当のぼくなのだろうか。
次の日目がさめると、信じられないくらい世界が変わっていました。
体も心も軽くて、カーテンを閉めている部屋ですら明るく見えました。
リビングに行くと、久しぶりに朝食の匂いがおいしそうに感じました。
母も父も昔と変わらず、おはようと言い、朝食を食べていました。
ぼくもおはようと言い、朝御飯を食べ始めました。
約2年ぶりの家族揃っての朝食。
母は、ゆで卵の固さを気にしていましたが、声が震えて鼻声だったので、そうとわかるまでに時間がかかりました。
ご飯を食べ終わると、父が「自転車で漫画を買いにいかないか?」と言ったので、ぼくはうなずきました。
そして、2年ぶりの外出。
夏の陽射しが、部屋に射し込むうっとうしいものではなく、清々しく感じられました。
これが変化。
青いマウンテンバイクにまたがる自分。
ペダルを一漕ぎしたら、これから何だってできる気がしました。
これもまた変化。
マウンテンバイクに乗りたくて。
初めて青いマウンテンバイクに乗ってからは、毎日乗っていました。
朝起きてすぐにマウンテンバイクに乗りたくて、朝御飯を食べる前に一走り。
夕方にもう一走り。
その半年後、ぼくは四国を、青いマウンテンバイクで一周することになりました。
そして、10日かけてぼくの挑戦は達成されました。
そして、現在、ぼくは空調設備会社に勤めています。
単位制高校に通いながら、アルバイトしていた所で就職しました。
辛いこともありますが、四国一周の経験と、3人の子ども達の顔を思い浮かべればなんともありません。
あの青いマウンテンバイクのおかげだと思います。
今、不登校で辛く、苦しい日々を送っている学生のみなさん、きっかけは突然訪れます。
そして、そのきっかけを見逃さないようにしてください。
現状を保っていては、きっかけを見逃してしまうかもしれません。
きっかけは人それぞれ違うので、あなたの興味があること、できることを少しずつやっていってください。
そして、今のあなたを家族は見守っています。
そんな人たちにひどい態度を取ることもあるかもしれません。
けど、いつかでもいい。そのありがたさに気づいたときは、言葉にして感謝をのべて欲しいなと思います。
親は一番近くで、あなたのことをずっと待ち続けていると思います。
ぼくのこの話が誰かの役に立てたら嬉しいです。
ということで、山村さんの話はここまでです。
いかがでしたでしょうか?
何かヒントがあったでしょうか?
このシリーズの第2段は近々お届けしようと思います!
最後までご覧いただきありがとうございました!
良ければ、
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