見出し画像

蓮のひらく音をきく〜蓮の音はなぜ消えたのか

8月に入ると過去の戦争がぐっと身近になります。特に今年はコロナ自粛という特別な時間を過ごしながら、歴史から学ぶことも増えているように思います。今の世界の状況が100年前のスペイン風邪、第一次世界大戦敗戦の混乱の中で、本来は「新しい生活様式/新しい人間」の養成を目的としたバウハウスの誕生、世界恐慌、そしてナチスが台頭し始めたドイツ(ワイマール共和国)と非常に良く似た雰囲気を感じます。ちなみに当時の日本は現在の主要私立大学が国に認可されますが、3年後には関東大震災で大打撃を受ける。バウハウスもその後に誕生するヒトラー政権に閉校に追い込まれ、日本は軍国主義に突入。その後、独裁政権のドイツとイタリアとの三国同盟を結んでいく歴史も見逃せません。

蓮の記事写真

この時期には毎年、軍国主義の足音が大きくなる昭和10年に掲載された朝日新聞「蓮の音論争」を軸に、日本文化に当たり前にあった「蓮の音がひらく音」が世の中から消えてしまった経緯、そして「きこえない音をきく」とはどういうことかを「耳の哲学」から思考しています。科学的/物理的に「音がする/しない」を言及する場ではなく、社会の中でひとつの文化や表現の自由が簡単に消えてしまった歴史があったこと、そこには人々が「内心の自由」を隠してしまう空気、軍国主義が背景にあったという事実を知って頂く場と捉えて頂けたら幸いです。 以下は毎年更新しながら掲載しています。・・・・

◎過去の記事では、軍国主義が色濃くなった1930年代の国内有音派・無音派の植物学者たちが、2度の夏に渡って不忍の弁天堂前の蓮音を巡って朝日新聞紙上で繰り広げた『蓮の音論争』をご紹介しています。2017年以前の記事は、ぜひこちらのリンクよりご覧いただければ幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は2018年に続き「芸術と科学」の関係性について素人なりに考えてみたいと思いました。なぜなら、この「蓮の音論争」を一方的に収束させた無音派の切り札(言葉)が「科学の勝利」で、それは実学中心の現在のアカデミズムの状況と重なってみえたからです。加えて、日常から「表現の自由」が奪われていくような「戦前の空気」ともどこか似た気配を感じます。
 20世紀は「科学の時代」と言われました。約100年前とは言え、新しい科学技術が人々の暮らしや考え方や環境を大きく変えていく感覚は、現在のインターネットやAIと向き合う私たちと大差なかっただろうと思います。因みにこの「蓮の音論争」が繰り広げられた1930年代の日本も近代化が進み、すでに不忍池周辺工場の排気による環境汚染が問題視されていました。関東大震災の復興事業や地下鉄銀座線の開通、不忍の池の周りには都電も走り、決して「静かな」世の中ではありませんでした。当時の街の「騒々しい」サウンドスケープを想像しながら記事を読んで頂けたらと思います。
 もっと言えば当時のアメリカではすでに原子力爆弾の製造法が研究開発されていて、それを知る留学経験者(物理学者たち)も国内に存在していました。大人と子どもほどの技術格差がある大国との戦争に突入していく時代を、若い物理学者たちはどのように過ごしたのでしょう。その「内心」を知ることは出来ませんし、賢い人ほど口を閉ざしてしまったのかもしれません。なぜならこの国は、いつの間にか「戦争反対」を唱えた人たちが隣人の「密告」により捕まり、拷問を受け、殺されてしまうような恐ろしい国になっていたからです。自由を謳歌した大正デモクラシーから僅か10年ほどで社会は暗く変貌し、ジェットコースターのように軍国主義に「落ちて」いきました。もしくは強国に「上がっていく」と高揚感をもって時代に臨んだ人たちも沢山いたことでしょう。大震災を経てからの時代の流れもどこか今と重なります。
 「蓮の音論争」が起きるまでは、有音派の植物学者も「非科学的」などと言及されずに存在していました。科学の中にも多様性があったのです。それが地球上に生息する蓮の花すべてを検証したエビデンスがあるわけでもなく、強引にひとつの意見に統一されていきます。「蓮の音をきく」ことは「風流すぎる」と軍国主義が嫌ったからです。そして「科学の勝利」と新聞に書かれた途端(突っ込みどころ満載の「非科学的な」実験だったにもかかわらず)、呆気ないほど簡単に「蓮の音」は社会から消えてしまいます。その冬には226事件が起き、クーデターを起こした多くの青年将校たちが処刑されます。軍国主義に舵を振り切った象徴的な年でした。
 国中の人たちが監視し合いながら「非国民」と密告されることを怖れ、「本心」を隠して大きな力に飲み込まれていきます。「勝利」を信じて(または信じたふりをして)「お国のために」すべてを差し出し、戦争に参加する道だけが残されます。国民には選択肢がないのです。戦争を視野に入れたメディア報道や教育による「刷り込み」が子どもたちに及び、「兵隊さん」になってお国のために戦うこと、命を捨てることを「美徳」として望むように育てられます。当時の朝日新聞「蓮の音論争」の記事の隣には、すでに都内で始まっていた空襲訓練を苦に一家心中した有識者家族の記事が大きく掲載されています。それはどこか「負け組」として扱われている印象があります。メディアもすでに戦争の加担者でした。
 ちなみに朝日新聞紙上で「科学の勝利」を謳ったのは「日本の植物学の父」と言われた牧野富太郎氏でした。牧野氏は音楽会をひらき自ら指揮者をするような文化愛好家の一面もありました。また東京帝国大学の’聴講生’の立場から、最終的には博士号を授与された稀有の天才科学者でもありました。この実験時にはすでに70歳を越え「権威」でしたから、科学者として「無音宣言」は正しかったのだろうと思います。さらに注目すべきは、日本中を焦土にした戦後に全く違う理由で「科学的根拠」をもって「蓮の音」をふたたび否定した人物の存在です。それは誰よりも蓮を愛し、自宅で検証も積み重ねていた植物学者の大賀博士でした。大賀博士はなぜ「蓮の音はしない」と言い切ったのか。それは「カミカゼ」という「幽音(きこえない音)」を信じて戦争に邁進した盲信的な日本の「国民性」への反省と批判があったからです。ふたりの科学者の動機はまったく違いますが、この「権威の裏づけ」は決定的でした。昭和の高度経済成長期は「日進月歩」の科学技術の恩恵を受けていたので、この国の人たちはふたたび「蓮の音をきく文化」を忘れてしまったのです。気づけば芸術さえも「科学的であること」「ロジカルであること」が求められるようになりました。論拠の弱いモノ・コト・ヒトは排除する。「非科学的」であることと「言葉にできないこと」が同義として語られ、逆に言えば「言葉にできること」だけが世界のすべてになっていきます。
 そして2011年3月。衝撃的だった「想定外」の言葉とともに人類史上最悪の原発事故が起きました。その事故の背景には「ブレーキのない自動車を走らせる」ような杜撰な「最先端科学技術」の実態も見えました。そして事故から10年足らず、まだ何も解決していないどころか事態は悪化しているにも関わらず科学技術は現実逃避のようにAIに邁進し、ブレーキを開発出来ないまま再び原発すら動かそうとしています。その「非科学的な」背景にはいったいどのような思考があるのでしょうか。
 芸術と科学は本来、岡本太郎が提唱した「調和は衝突」の関係性にあるのだと思います。もともとは森羅万象、言葉に出来ないことも含めてひとつの学問だった。科学者の言う「想定外」は、芸術にとっては必要不可欠な「イメージの力」です。現代科学が到達できない「非言語」の領域を補えるのが芸術、科学の社会的な暴走を抑えるのは倫理や哲学です。「科学的なデータ/数字」が社会を息苦しくすることもあります。なぜなら「科学的根拠」も決して「正解」ではないからです。それは未曽有の原発事故が教えてくれました。
「蓮の音を聞いた」と言う人を「非科学的である」と言葉で封じ込めるような権利は、実は誰にもないと考えます。百歩譲って科学に寄り添っても、この広い世界には2000種類以上の蓮が存在し、土壌や環境、蓮の生命力の個体差も含め、すべての可能性を「ゼロ」だと実証することは不可能だと思うからです(あの大賀博士さえ検証は70種類ほどでした)。「想定外」の存在を否定せずに柔らかに想像の翼を広げること。社会全体がイメージすることを止めてしまった時には戦争が待っているかもしれない。それこそ想定外の時代がやってくるかもしれないことを、「蓮の花の音」をめぐる歴史が教えてくれるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記)つい先日、音楽文化団体であるJASRACが音楽教室に「調査員」を2年間に渡って忍ばせていたニュースが注目を集めました。20年来この団体と契約している自分にとってそれは驚愕すべき、悲しむべき事態でした。文化や音楽家の正当な権利を守るはずの団体が、おそらく上記のような歴史を知らず(知っていたら大問題ですが)、日常に「密告者」を送りこんでしまう。その無自覚な綻びから社会の空気はあっという間に変わってしまいます。団体の在り方には内側からも積極的に疑問の声をあげていきたいと思います。それが例え小さな声であっても。
参考文献:『朝日新聞』昭和9年、10年、『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(M.シェーファー、今田匡彦、春秋社)

〇2000年代に出会った主に上野不忍池の蓮と音楽です。https://youtu.be/gtm7aYpBS1M

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?