半澤です。
noteを書き始めて数年が経ち、いろいろと記事を投稿してきましたが、私自身の話をしていませんでした。
今さらかもしれませんが、自己紹介をします。
改めまして、株式会社インターン代表の半澤洋(はんざわひろし)です。
株式会社インターンは
「100年先の子ども達に誇れる社会」
を実現するため、
「人」「地域」「社会」そして「世界」に影響を与え続けていくことを理念とした会社です。
・人材紹介、人事コンサルタント、採用代行
・地域共創(ずんだらぼ、ふるさとグルメてらす、日本酒づくりなど)
・各種営業代行
などを手がけています。
詳細については下記HPからご確認ください。
1. 生い立ち
生まれは東北の宮城県多賀城市で兄と妹の3人兄妹で育ちました。
学生時代の私は、あまり活発な子ではありませんでしたが好奇心は旺盛で、小中高とそれぞれ異なる競技の部活動を選択しました。
小学生のときはマンガのキャプテン翼に憧れてサッカー少年団に入り、中学生のときは同じくテニスの王子様に憧れてテニス部に入部。
高校では今からメジャースポーツを始めると小中とやってきた人に勝つのは難しいだろうと思いハンドボール部に入りました。
どの部活も最初は楽しかったです。
しかし、周りの友人がどんどん成長し追い抜かれるようになると、
「自分にはこの競技は向いてないんじゃないか。」
自分の成長が止まりこれ以上は上手くなれないのではないかと感じると、
「ほかの競技だったら才能が開花するんじゃないか。」
など、挫折を経験しては新たな道を探し求めることを繰り返していました。
子供のころから人とは違う何者かになりたいと思っていたのだと思います。
2. 大学進学
高校卒業後は地元宮城県を離れ、千葉県の大学に進学しました。
地元を離れ新天地で生活することで、新しい自分になれるのではないか。
新しい何かが起きるのではないかと期待して地元を離れました。
たくさん勉強して海外にも行き、インターンなどを通して大きく成長するはずが、気づけば勉強はほどほどに、アルバイトと飲み会にほとんどの時間を費やしていました笑
そんな生活が影響して就職活動は見事に後れをとります。
私が就職活動を開始したころには、既に内定を獲得している友人がたくさんいるほど遅れました。
ただ、そこから全力でリカバリーした結果、3社から内定をいただきました。
2社は業界的にも興味があり、仕事内容も様々な挑戦ができそうなベンチャー企業。
もう1社は堅実・安定の大手食品メーカー。
それぞれに興味があり、どこに就職するか悩みましたが、先輩や友人に相談した結果、安定していて福利厚生が充実している大手食品メーカーに入社を決めました。
この時点では、安定していて福利厚生がいい生活を送ることが理想だと思っていました。
同時にこの就職活動が自分のキャリアの出発点になるのですが、
就職活動を通じて、「人を笑顔にする仕事がしたい」。
とも感じていました。
それがのちのキャリアに大きく影響を与えていきます。
3. 社会人1年目
食品メーカーでの配属は営業部でした。
私が就職したとき、世の中では人生100年時代と言われはじめ、定年が60歳から延びることもすでに予想されていました。
これから40年、50年と続く時間をどのように過ごすのかを考えると、会社の最前線で戦い世界に通用するビジネスパーソンとして活躍したい。
その想いから、就職後に行われた配属先を決める人事面談では
「部署は問いません。大きな仕事をさせてください。」
そんなことを言った気がします。
その結果、営業部の中でもとりわけ大きな仕事を扱っている部署に配属が決まりました。
会社の人事の中でも異例と言われる配属だったと聞いています。
会社の期待に応えるため、仕事ができるカッコいいビジネスパーソンになるため、朝から晩まで仕事に励みました。
ただ、自分の想いとは裏腹に仕事の成績は思い通りにはいきません。
結果を出すためにがむしゃらに働きましたが仕事はうまくいかず、先輩・上司から叱られる日々が続きました。
もっと頑張らなきゃ、
もっとやらなきゃ、
もっと努力しなきゃと自分を鼓舞しながら、
毎日必死に働きながらも状況が変わることはなく
日々自分の未熟さ、
ふがいなさに嘆き、
営業という仕事は向いていないのではないか、
そもそも自分は仕事ができない人間なのではないかと少しずつ自信を失っていったのを覚えています。
そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのが兄でした。
兄はそのとき仕事の傍らで勉強の時間をつくり、読書や講演会などに参加しながら起業準備をしていました。
私よりもはるかに忙しい生活を送っていることを雰囲気から察することができました。
ただ、兄から伝わってくる忙しさは、「大変そう」というものではなく、「充実しているんだろうな」という印象でした。
そのときの私は、仕事を頑張りたいという想いはありながらも、仕事が充実しているとは言い難い状態です。
このときから
自身で人生の舵をとり充実した日々を送る兄と、
想いとは裏腹に結果が伴っていない自分との差は
どこから生まれているのかを考えるようになりました。
4. 転機
「本を読むといいよ。」
兄だけではなく、会社の先輩や多くの方に過去何度も言われてきた言葉です。
そう言われながらも、それまでの私は結局ほとんど読書をしていませんでした。
ただ、このままがむしゃらに仕事を続けた先に大きな変化が起こる気もしませんでした。
何かを変えるしかない。
そこから兄に話を聞き、おすすめの本や講演会・セミナーなどに参加し、会社の外で勉強する時間を作るようにしました。
会社の外で勉強を始めると、関わる人も大きく変化します。
業界や職種、年齢といった属性が異なることはもちろんですが、なにより刺激を受けたのは同年代で活躍している人たちに出会えたことです。
誇りを持って仕事に取り組んでいる人
言葉の端々から自信がうかがえる人
経験値豊かな人
そういった人たちに出会い、学び、影響を受け、改めて自分自身に
「お前は本当にこのままでいいのか?」と考えるきっかけを貰いました。
勤めている会社は大手の食品メーカーだったので、一般的に見れば安定していて将来への不安も少ないように見えるかもしれません。
ただ、私自身はどう思っているのか、
理想はどうありたいのかと向き合った結果、
「大きな船の一員として大海原を航海することよりも、たとえ小舟だとしても自分の手で舵を握り航海したい。」
そう想うようになり、起業準備を始める決断をしました。
独立するまでに社会人1年目に考えていたことはこちらの記事でより詳しく書いているので気になる方は是非読んでみてください。
5. 株式会社インターン設立
その後24歳で独立し、28歳で1社目を設立。
そして31歳のときに設立した2社目の会社が株式会社インターンです。
20代の時に描いた大まかな人生計画の1つとして、
20代は人と仕事をする
30代は地域と仕事をする
40代は社会と仕事をする
50代は国と仕事をする
60代は世界と仕事をし
70代は地球と仕事をする
という内容があります。
株式会社インターンはこの想いを形にした会社です。
仕事を通して「人」や「地域」
そして「社会」に対してどのような想いを込めて関わっているかについて、一部ではありますがご紹介します。
6. 東京と地方を繋げる地域共創
冒頭にも書きましたが、私は宮城県出身です。
高校卒業後から地元を離れ、2011年に発生した東日本大震災のときは東京にいました。
私の育った街も震災によって大きな被害を受けました。
恥ずかしながら、震災で変わり果てた地元宮城県の様子を見たときに初めて、自分を育んでくれた故郷の大事さに気づきました。
翌2012年からは震災があった3月11日は故郷に帰り、現地の方たちの声を聴きながら自分にできることを考えてきました。
そして最初に行ったのが「Tokyo Charity Fes」です。
震災からの復興には長い年月がかかるので、復興支援も継続的に行う必要があります。
しかし、月日が経つと復興支援の想いは薄れてしまうのが現実です。
復興支援の想いを風化させないためにも、あえて3月ではなく9月に東京でチャリティーライブイベントを企画してきました。
この「Tokyo Charity Fes」が規模を変え、かたちを変えて進化したのが現在の「ふるさとグルメてらす」です。
「つながる想い、つなげる場所」
をテーマとしたグルメイベントで地域の特産品やご当地グルメなど、食を通じて東京から地域の魅力を発信しています。
このイベントではボランティアスタッフも募集しています。
今の会社以外のキャリアに興味はあるものの、転職までは踏み切れない。
違う職場を経験してみたいという方が多くいらっしゃるので、そのような方がパラレルキャリアの一環として同世代の仲間たちと違う仕事をする経験を提供しています。
ご興味がある方はふるさとグルメてらすの公式HPをご覧ください。
ふるさとグルメてらすがどのように立ち上がったかに関してはこちらの記事で書いているので、興味のある方はご覧ください。
株式会社インターンにはその他にも、
宮城県の郷土料理である「ずんだ」を国民食にすることをコンセプトに掲げて活動している「ずんだらぼ」
福島県の磐梯酒造と共同開発でオリジナル日本酒の開発を手がけている「PON酒女子」の運営など多岐に渡ります。
各HPはこちら
各ビジネスについての詳しい話はまた別の機会にします。
7. 最後に
私は、転職エージェントの仕事を営んでることもあり、20代、30代の方たちと話す機会が多くあります。
彼らと話していて感じることは、
「みんなやりたいことをもっている」ということです。
もちろん最初から「これがやりたい!」というものを描いている人もいますが、「将来やりたいことのイメージがわかない」という人もいます。
しかし、よくよく話を聴いてみるとそれぞれ実現したいことをもっていて、彼らの話からビジネスに繋がったものもあるほど、彼らが持っているアイディアは豊かで魅力的な内容が多くあります。
私はこれからも目標や夢に向かって健全に努力でき、努力している人が応援されるフィールドをつくり続けていきます。
100年先の未来に向けて昨日よりも今日、
今日よりも明日。
日進月歩、秒進分歩で今日も全力を尽くします。
最後までお読み頂きありがとうございました。