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食べることは、生きること。

最近、歯を抜いた。
抜きたくて抜いたわけではもちろんなく、やむ負えずの選択だった。
抜歯をした箇所は縫合されたため、口の半分がうまく動かない。無理に動かそうとすると糸が突っ張ってアイタタ…となる。
こうなると食べるものも制限されてしまう。
例えば、熱々のもの、辛いものは傷口にしみるからNG。分厚いサンドイッチのように大きく口を開けて頬張るものや、縫合糸の隙間に入り込んで傷口を刺激しそうなホールスパイスやごまも要注意だ。

こんなときほど、食べられないものが無性に食べたくなるもので、カルダモンをがっつり効かせたキーマカレーにサーティワンのナッツトゥユー……とあれこれ思い巡らせ、“食”とQOL(生活の質)の関連性について改めて考えていたときに思いついて本棚から引っ張り出したのが、吉本隆明、ハルノ宵子の『開店休業』だ。

晩年の吉本隆明さんが、忘れられない味を振り返ったdancyuでの連載エッセイに、長女のハルノさんが書き下ろした連載当時の隆明さんの姿や、家族の思い出が添えられている。

この本にはわたしの知らない食べものも多く登場する。
甘いお茶漬けとか、おから寿司とか。
憧れるのは、薄く伸ばしたレバーに衣をまとわせて揚げ、ソースをたっぷり染み込ませた「三浦屋の肉フライ」。
おやつにもいいけれど、ビールをひと口呑んで、熱々の肉フライを頬張ったらさぞかし美味しいだろうなぁ!と想像するだけでお腹が空いてくる。

「カレーライス記」の冒頭も素敵だ。

子供時代、はじめて家庭内にカレーライスが持ち込まれたとき、それは有無を言わせぬ食べ物だった。
開店休業/吉本隆明・ハルノ宵子

この一文を読むと、子どもの頃の記憶がよみがえる。
夕暮れにどこかの家庭から漂うカレーの香りを嗅いだような気持ちになる、というか。

わたしの勝手な判断だが、料理の味は、味そのものではなく、味にまつわる思い出や、思い込みなど味にまとわりついている想像力に左右されることが大きいと思う。
開店休業/吉本隆明・ハルノ宵子

まさにこういうことなんだろうなぁと思う。

祖母が作るおでんの味、叔母と一緒に池袋で食べた、星を散りばめたパフェ、父と食べた不二家のプリン。
はたまた、どうしても食べられなくて最後まで残された、幼稚園給食のピースごはんに、母が自分用に買っていたのを食べてしまって、猛烈に怒られたナビスコラングドシャ。
わたしの食べ物にまつわる記憶は、楽しかったことも、嫌だったことも、情景と一緒に浮かび上がる。

それから、料理上手なハルノさんがつくる“デンジャーコロッケ“も相当美味そうだ。
「生クリームと牛乳を『イヤ〜ッ!』というほど入れる」高カロリーコロッケながら、大のじゃがいも好きだった隆明さんは最後に迎えた87歳の誕生日にもこのコロッケを3つも平らげたのだとか。

食べることは生きることだ。
今日お腹が空いて、「あれ食べたい」と思う気持ちは、生きることへの執着でもある。

若い頃、ひどく精神的にまいってしまって食欲が一切なくなり、なにを食べても味がしないという時期が長く続いた。
以降、落ち込むたびに「お腹が空くうちは、美味しいと思えるうちはまだ大丈夫」と思う。
だからいまも、(傷口は痛むけれど)まだ、大丈夫。

ハルノさんによると、隆明さんが最後に口にしたのは、好物の“きつねどん兵衛”。
読んだ後、買い出しに出かけたスーパーで思わず手に取ってしまったことは言うまでもない。

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