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エウベル氏「元々ばいやんへ移籍したくはなかった」

—— 以下、翻訳 (インタビュー記事全文)


実はジオバネ・エウベルは、VfBシュトゥットガルトからFCバイエルンへの移籍を望んでいなかった。ドイツ『11フロインデ』誌とのインタビューの中で、その理由と、妻に移籍を説得された過去を語ってくれた。

エウベルさん。あなたは、VfBシュトゥットガルトとFCバイエルン・ミュンヘンの両方でプレーした経験がありますね。今回の対戦では、あなたの心はどちらのチームに傾いていますか?

バイエルンだね。シュトゥットガルトでの3年間の『魔法の三角形』(90年代中盤のブンデスリーガに旋風を巻き起こした、エウベル、ボビッチ、バラコフから成る攻撃陣) と同じくらい素晴らしいものだった。そして現在、私はFCバイエルンのブランドアンバサダーとして、かつては選手としてクラブの多くの成功を祝ってきた。そのため、FCバイエルン・ミュンヘンは私にとってより身近な存在だと言えるよ。

ですが、当初は、シュツットガルトから当時すでにビッグクラブであったFCバイエルン・ミュンヘンに移籍することに対し、あなたは非常に大きな抵抗がありましたね。

その通りだね。私はシュトゥットガルト残留を望んでいた。当時の会長マイヤー=フォアフェルダー氏は、その年のウィンターブレイクが始まる前にすでにフレディ・ボビッチとクラシミール・バラコフとの契約を延長していた。その後、故郷ブラジルへ帰省したのだが、帰省後には私も契約延長できると考えていた。でも、ドイツに戻って言われたのが、「ミュンヘンに移籍してくれ」という言葉だった。当時、バイエルンが非常に高額の移籍金を提示してきたのだ。

しかし、ビッグクラブであるFCバイエルンが声をかけてきたのなら、サッカー選手なら全く悩む余地などないのでは。

VfBの雰囲気はとてもアットホームだった。かなり楽しかったんだ。例えば、マイヤー=フォアフェルダー会長は、月に一度は必ず選手たちの家族全員を夕食に招待してくれていた。とても素敵な夕べだったね。ワインは1杯か2杯飲むだけで、大酒は飲まなかった。こうした集まりは、私たちの結束力を高めてくれた。チームメイトの家族と顔見知りになれば、ピッチ上でも選手たちは一層理解し合えるのだ。

90年代半ば、FCバイエルンは、あまりチームの調和がとれた状況とは言えませんでした。

FCバイエルン、あれはFCハリウッドだった。本当にミュンヘンで足場を固められるかどうか、強い疑問や不安を持っていた。私の前にもビッグネームの選手たちが大勢やってきたが、その中にはわずか2年で退団した選手もいた。彼らはミュンヘンで成功できなかったのだ。しかし、妻は私にこう言った。「ジオバネ、あなたはブラジル代表選手になりたいのよね。それならバイエルンに行くしかないわ」と。VfBで上手くプレーするだけでは足りないことは明らかだった。よし、やってやろうじゃないか、と私はようやく決意を固めた。

結果的には大正解でしたね。代表選手にも選ばれたほか、バイエルンでは4度のブンデスリーガ優勝、2001年にはチャンピオンズリーグ優勝も果たし、あなたは国民に愛される選手へとなりました。

でも、移籍当初は違いを感じていたね。VfBで選手たちは常に攻めるサッカーをしていた。ピッチ上の選手たちも、スタンドの観客も、みんな楽しんでいたのだ。一方、バイエルンでは3日に一度は試合があり、常に勝利が義務付けられていた。1-0とリードすれば、監督は私に代えて守備的な選手を投入した。そうなると、プレーへの情熱はやや薄れるね。当時のトラパットーニ監督の言葉を私は今でも覚えている。「ジオバネ、1-0で勝てば勝ち点3、2-0で勝てば勝ち点3、3-0で勝っても、勝ち点は3しか獲得できないんだよ」と。

現在のバイエルンはチームの方向性が大きく異なり、より攻撃的なものになっています。あらゆるストライカーにとって夢のようです。きっとあなたもこのチームでプレーしたいと思うでしょう。

(笑) そうだね。それはもう楽しいことだろう。だが、今のこのチームはきっと誰もがプレーしてみたいと考えるだろうね。

▼元記事
https://11freunde.de/artikel/ich-w%C3%A4re-gerne-in-stuttgart-geblieben/2984795

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