見出し画像

ドイツかイングランドか?未来を背負う規格外の少年、ムシアラ君

最年少出場に最年少得点と、ばいやんのクラブ歴代最年少記録を次々と塗り替える、将来超有望な攻撃的MFムシアラ君(17)。ドイツやイングランドのサッカーを背負って立つ存在にもなりうる彼の生い立ちや今後の期待について、ドイツ・バイエルン放送 (Bayrischer Rundfunk) が記事にまとめていたので紹介します。
【記事リリース日: 2020/9/22】

—— 以下、記事翻訳

FCバイエルンのブンデスリーガ最年少得点記録を更新した少年、それがジャマル・ムシアラだ。現在17歳の彼は、今や将来を嘱望される選手の一人となった。

2020年6月20日、ドイツ、ミュンヘンのアリアンツアレーナで、ある瞬間が訪れた。FCバイエルンはクラブ史上2度目の3冠を目指し、ブンデスリーガを戦っていた時の出来事である。試合終盤の88分、チームの大黒柱、トーマス・ミュラーに代わり、背番号42の選手がピッチへと送り出された。多くのファンが驚きを隠せなかったことだろう。背番号42の選手、あれは一体誰なんだ、と。ジャマル・ムシアラが偉大なサッカーシーンへと足を踏み入れるとともに、FCバイエルンの歴史を書き替える瞬間となった。3:1で勝利したこのフライブルク戦で、イングランドU-17代表の彼は、17歳115日の若さでクラブ史上ブンデスリーガ最年少デビューを飾った。この時のムシアラは、もちろん他の選手ならまだBユース(17歳以下)の試合に出場しているような年齢だ。

そして、この僅か3ヶ月後、再び新たな歴史が生まれることとなる。それは2020年9月19日、同じくアリアンツアレーナで行われた、2020/21シーズン開幕戦、ホームにシャルケを迎えた一戦だった。71分、FCバイエルンに選手交代が告げられた。レロイ・サネに代わり投入されたのは、ムシアラだ。そしてその直後、81分にロベルト・レバンドフスキの左足のパスを受けた彼は、ゴール前でスピードに乗ったドリブルで相手選手2人をかわし、すかさずグラウンダー気味の正確なシュートをゴール左端に突き刺した。この試合のチーム8点目の得点だった。これにより、ムシアラは再び新たな歴史にその名を刻んだ。彼は、クラブ最年少でブンデスリーガデビューを果たしただけでなく、クラブ史上最年少得点を決めたのだ。

シュツットガルトの小さな丘から、世界へ

ところで、ジャマル・ムシアラとは一体どのような選手なのだろうか。彼の足跡を辿るには、シュツットガルトの田舎町から話を始めよう。シュツットガルトと言って思い浮かぶのが、多様な文化や、人種の坩堝(るつぼ)、そして創造力の豊かさだ。シュツットガルト出身のヒップホップグループ「フロイントクライス」の創設メンバーであるマックス・ヘレ氏は、シュツットガルトの音楽を “世界を映し出す音”、シュツットガルトの哲学を “街のストリートの歌詞” だと表現している。この比喩表現は、ジャマル・ムシアラのプレースタイルや生い立ちとまさに一致する。

彼の母親はシュツットガルト出身で、ドイツ人とポーランド人の血を引き、父親はナイジェリアの出身だ。ジャマルのプレーは、創造性や喜びに満ちている。彼の持つスピードや、ダイナミズム、テクニック、創造力、そして効率性の高さ。これは、かつてブラジル代表として2002年日韓ワールドカップ優勝を果たしたロナウドを想起させるものだ。ジャマルは、これまで長く不在だったストリートスタイルの選手だ。それも、ドイツサッカーやFCバイエルンにおいてはメーメット・ショル以来、待ち望んでていた選手であると言える。

時にロナウドやアンリ、そして時にはジダンに

シュツットガルトで生まれた彼は、ヘッセン州東部に位置する街、フルダで育った。そしてイングランドへと渡り、ロンドンで学業やサッカーに励んだ。彼の独特でエキサイティングなサッカー選手としての旅路は、のどかな街フルダにある小さな地元サッカークラブ、TSVレーネルツから始まることとなる。当時フルダで彼が通っていた幼稚園の先生は、ジャマルがまだ3歳の頃、他の子がまだようやく走り始めたような時期に、彼だけは既にボールを使ってドリブルまでしていたことに驚きを覚えたという。また、近所の人たちは、ジャマルが毎日路上でサッカーをしているのを見ていた。彼は、テレビで見る憧れの選手たちの巧みなプレーを見よう見まねでよく練習していたのだ。それは時に、ロナウドであり、アンリであり、また別の時にはジダンでもあった。

ロンドン・コーリング

彼は7歳の時に、サッカーの母国イングランドへと渡る。彼の母親が留学するためだ。偶然にも、移住先であるサウサンプトンでの彼のプレーが、世界的に名高いロンドンのチェルシー・フットボール・アカデミーの目に留まる。FCサウサンプトンのスカウトたちは、他にもロンドンのビッグクラブが彼の存在に気付くのに、そう長くはかからないだろうと感じた。家族でロンドンへと引っ越すことになり、彼はFCチェルシーのアカデミーに移籍。ロンドン南部クロイドン区にある、コーパス・クリスティ小学校へと転校した。

FCチェルシーに加入すると、すぐに彼は頭角を現す。自身のデビュー戦で、当時ジュード・ベリンガム(現ドルトムント所属)のいたバーミンガム・シティと対戦し、この新生”ワンダーボーイ”は、そこでいきなり4得点を挙げる活躍を見せたのだ。また、彼の所属する学校は、プレミアリーグ学生トーナメントで3度の優勝を果たし、彼自身も2度の大会得点王に輝いた。小学校を卒業した後、スポーツの名門校として知られるホイットギフト校に進学。スポーツと学業の両面で優秀な成績を収めていた彼は、奨学金を受けることができた。そして入学してからは、チェルシーの若手カラム・ハドソン=オドイが当時保持していたゴール記録をはじめ、この学生チームの持つあらゆる記録を次々と彼は打ち破っていった。

“勝者のマインドセット”を持つ少年

こうしてムシアラは、新たにチェルシーで将来を嘱望される選手となった。彼のかつての監督やチームメイトらの多くは、彼のことをこう評す。違いを生み出し、絶対的な勝者であるだけでなく、周囲のお手本となる選手でもあった、と。ピッチの外での彼は、極めて控えめで思慮深く振る舞う選手だ。それも恥ずかしがり屋と言っていいくらいで、話し声はとても小さく、人の話は注意深く聞こうとする。しかし、いざピッチに立てば、彼はその力を発揮する。すぐさまゲームに関与する選手だ。溢れる才能だけでなく、勝者のマインドセットや価値観も持ち合わせている。そしてそれは、彼の母親や、英国のエリートスクール、FCチェルシーでの教育により培われたものだ。ムシアラは、若い選手たちにとってピッチ内外での手本であるとともに、彼らに強いインスピレーションを与える存在なのかもしれない。

イングランドかドイツか — 注目される決断

13歳の若さで、ムシアラはイングランドU-15代表に招集された。時を同じくして、もう一人の13歳の大抜擢もあった。それが、現在ドルトムントでプレーする、ジュード・ベリンガムだ。この二人の運命は、”スリーライオンズ (イングランド代表チームの愛称)” で交わることとなった。友情の始まりである。彼らはともに13歳にしてU-15代表デビューを果たし、以後、世代代表の際は相部屋を共有することとなる。

代表戦の試合において、ムシアラは初の国際舞台でもその輝きを見せた。もう一人の2003年世代の仲間とともに臨んだ、U-15代表のデビュー戦となるオランダ戦で、彼は23分間で見事なハットトリックを決めてみせたのだ。その後、U-17代表でケビン・ベッツィー監督から、ジャマルはベリンガムとともに3人のキャプテンの一人を任されている。

FCチェルシーからFCバイエルンへと移籍し、今年の6月20日にブンデスリーガデビューを果たした彼だが、それに対して、イングランド代表監督のガレス・サウスゲートは、ビデオメッセージで彼へ祝福の言葉を送っている。サウスゲート監督は、ベリンガムとムシアラという期待の若手二人にはかなり以前から注目していた。これはつまり、ムシアラへ代表チームを変更するよう説得するには、DFB(ドイツサッカー連盟)が相当な力を尽くさなければならないことを意味する。その一方で、ベリンガムとサウスゲート監督には、この17歳の彼に “スリーライオンズ” を強く推すための確かな材料が揃っている。ムシアラの周囲からは、招集されればイングランドを選択する方向に傾いているという声も聞かれる。しかし、どちらのA代表を選択するかに関しては、最終的にまだ決心を固めてはいないようだ。

FCバイエルン・ミュンヘン — 幼少時代の夢が現実に

ムシアラは2019年夏にFCバイエルンへと移籍したが、これは彼の幼少時代の夢を叶えることを意味した。この時すでに欧州の大半のクラブが彼の獲得を望んでいた。だが、彼が移籍先として選んだのは、幼少期からの心のクラブだった。バイエルン加入後は、U-17から始まり、U-19、U-23を経て、僅か1年以内という短期間にトップチームへと駆け上がり、ブンデスリーガの舞台にまで上り詰めた。

ムシアラは、ミロスラフ・クローゼやマルティン・デミチェリスという世界的スターから指導を受け、セバスチャン・ヘーネスからはU-23や3部リーグですぐに信頼を得ることができた。その全ての人々へ、彼は大きな感謝の念を持っている。ムシアラは、いつも新たな環境へ適応するのが上手い。そうして、彼はミュンヘンへと ”辿り着いた” のだ。トップチームでも周囲といち早く親交を結び、とてもポジティブに受け入れられた。とりわけ、ヨシュア・キミッヒ、セルジュ・ニャブリ、アルフォンソ・デイヴィスからは、特に温かく迎えられた。

ブンデスリーガは、今後数年間、このエキサイティングな選手の姿を堪能することができる。その彼は、これまで、サッカーの母国へと渡り、ロンドン南部の練習場やチェルシーのアカデミー、そしてFCバイエルン・キャンパスと長い旅路を経て、今や、傑出した選手に将来化ける可能性を持つ選手へと成長を遂げた。ハンジ・フリック監督の言葉を借りれば、ブンデスリーガは、この極めてテクニックに優れた選手の姿を堪能することができる。彼はボールを持つと、信じられないダイナミズムを生み出すのだ。そして、果たして、フリック監督や、キミッヒ、ニャブリらは、ジャマル・ムシアラが将来ドイツ代表チーム入りを選択する決め手となってくれるだろうか。

【2021/02/24追記】
ムシアラがドイツ代表を選択したことが報じられる。詳細のnote記事はコチラ


▼元記事
https://www.br.de/nachrichten/amp/sport/auf-der-ueberholspur-die-reise-des-jamal-musiala,SBIe0lH

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?