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レバンドフスキの語る「家族や友人、ファンの存在、コロナによるサッカー界の変化、自身の将来」

—— 以下、翻訳 (インタビュー記事全文)

FCバイエルン・ミュンヘンのストライカーが、ファッション誌、ドイツ『GQ』の最新号の表紙を飾った。今回のインタビューでは、世界最優秀選手が、これまで以上に率直に、困難な若手時代や、問題への対処がうまくなった理由について、また、コロナの流行によってサッカービジネスがどう変化していくかについて語ってくれた。

『GQ』インタビューに登場の、ロベルト・レヴァンドフスキ

ようやくカムバックが見えてきた。ロベルト・レヴァンドフスキは、FCバイエルンでのトレーニングを再開している。土曜日のマインツ戦に向けて、ハンジ・フリック監督は「間違いなく選択肢の一つ」と月曜日にすでに語っている。この瞬間を心待ちにしていない人など、ミュンヘンにはほとんどいないはずだ。レヴァンドフスキは靭帯を損傷して約1ヶ月間の離脱を余儀なくされ、チームがチャンピオンズリーグで敗退するのを見届けなければならなかったのだ。

というのも、レヴァンドフスキのいないFCバイエルンは、FCバイエルンではないからだ。彼は現在、世界最高のサッカー選手であり、9分間で5つのゴールを決めたこともある選手であり、すでに歴史の教科書、サッカーの永遠の教科書に載る人物である。だからこそ、ロベルト・レヴァンドフスキは、ミュンヘンのグリプトテークにある古代の英雄たちの彫像の中にいても違和感がないのだろう。今回、『GQ』の写真撮影とインタビューのため、彼に会うことができた。困難な道のりを歩んできた、彼との対話をどうぞ。

ロベルト・レヴァンドフスキ:世界最優秀選手が『GQ』誌のインタビューに

GQ:GQの写真は、ミュンヘンの古代史博物館、グリプトテークで撮影されました。古代の神々や著名人、英雄たちの像が並んでいます。あなたが尊敬するヒーローやヒロインはいますか?

ロベルト・レヴァンドフスキ:僕が若い頃、その人生はそれほど簡単ではなかったんだ。16歳の時に父を亡くした。それは自分の人生の中で最も困難な出来事のひとつであり、僕がプロのサッカー選手としての第一歩を踏み出した時期とも重なった。残念ながら、父はそれを見届けることができなかったけれど。それまで父は、ずっと僕のキャリアにいつでも付き添ってくれていたんだ。また、父を失ったことは、母にとってとても大きなチャレンジだった。一人で家族全員をまとめなければならなかったのだから。僕にとっては、両親がヒーローさ。

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その時、お母様は、あなたをどうサポートしてくれたのでしょうか?

母にとって一番大切なことは、僕と妹の悲しみを和らげることだった。そして、僕らを正しい道に導こうとしてくれていた。当時、僕は運転免許を持っていなかったため、練習や試合には、よく車で連れて行ってくれた。きっと16歳の僕には少し若すぎたためか、数年経ってようやく、あの当時の状況が母にどんな影響をもたらしたのか理解できるようになった。僕は自分の人生の方向性を決めなければならない時期だった。両親には常に感謝している。二人は、必ずしも僕がプロのサッカー選手になって、たくさんのお金を稼ぐことを望んではいなかった。楽しんで、ピッチ上で自分の夢を実現し、最高のものを見せたいと思っているよ。

あなたはご自身がヒーローであり、お手本となる選手だと思いますか?

自分がヒーローだとは思っていないが、自分がお手本であることはわかっている。多くの人が僕の言動に注目しているからね。僕はポーランド出身で、プロのサッカー選手になりたいと思っていた若い当時は、大きなスタジアムや最高峰のチームでのプレーを夢見ていた。今の僕には大きな期待が寄せられていると思うが、僕も人間であり、完璧ではない。ミスをすることだってある。とはいえ、模範になるには多くのことが必要だが、そうしなければという義務感や、誰かからの期待があるからではなく、僕は自然とそう振舞っているだけなんだ。

今やあなたは世界最優秀選手となりましたが、その感想はいかがですか?

僕やチームが一緒に成し遂げ、勝ち取ったことは、大きな喜びがあり、とても誇りに思ったよ。1シーズンで6つのタイトルを獲得したこと、リーグ戦の得点王になったこと、チャンピオンズリーグやDFBカップで優勝したこと、そして最終的には世界最優秀選手になったことなどだね。しかし、それと同時に、そこに至るまでに自分が何年も努力してきたことも理解している。とはいえ、トップに立つことと、それを保ち続けることは別のものだ。

世界最優秀選手になるために重要なのは、努力と練習、もしくは、才能と適性、このどちらだったと言えますか。

いつでも努力を続けること、だね。誰もが才能を持っており、それが多い人も少ない人もいる。しかし、本当に努力しないと何もうまくはいかない。本気でプロになりたいのであれば、メンタル面も非常に重要だ。もし16歳や18歳で、いつもレッドカーペットが敷かれ、すべてが順調に進んでいるとしたら、正しいメンタリティを身につける時間はない。そうすると、何を改善すればいいのか、何を頑張ればいいのか、自分にはまだどんなスキルが足りないのか、といったことを考えなくなるんだ。僕のキャリアは、16歳から21、22歳までの間に困難を極めたよ。その間、僕は一生懸命に努力を続け、ライバルよりも優れていることを示さなければならなかったんだ。

つまり、サッカー選手のキャリアが、始めからスムーズで完璧すぎると弊害が生まれる可能性がある、ということでしょうか?

サッカー選手としてだけでなく、一人の人間としても、最初に問題がなければ、問題が起きたときにきちんと対処できるかどうかが問われる。なぜなら、年齢を重ね、すでに何かを勝ち取り、少しでもお金を稼いだ後では、そのメンタリティを構築し、向上させることが難しくなるからね。サッカー選手として10年以上にわたってトップレベルでプレーすることは、そう簡単ではないんだ。頭で考えることも大事だし、才能も大事だ。それに加えて、システマティックでハードなトレーニング。すべてのものが揃っていなければならないね。

メンタリティと言えば、あなたはどのように思考力を鍛えていますか?

トレーニング中や試合中でも、そのほかでも、うまくいかないことがあると、それに対処しなければならない。あるいは、すべてがうまくいっている時でもそうだ。それから、集中力が重要だ。僕もサッカー選手として、他の人たちと同じように問題を抱えている。だが、ピッチ上ではそれをシャットアウトし、仕事に集中することだ。プロサッカー選手の場合、多くの人が目にするのは、最初の1ページだけだと言える。でも、もっと掘り下げて考えると、結局、僕たちはみんな人間であって、同じ問題を抱えていることに気づくんだ。頭の中で起きていることは、パフォーマンスにも大きく影響するよ。

あなたは問題をシャットアウトするのが得意ですか?

僕はそれを習得した。確かに、それでもすべてを100%遮断することはできないし、問題の大きさや僕自身にとっての重要度にもよる。試合中の時間には、そういったことを考えないようにしているんだ。それがうまくいかない場合は、試合中でも脳裏に浮かび、考えてしまうからね。これは常にポジションの問題でもある。

それはどういうことですか?

走ることはいつでもできるし、パスだって長い間練習していればそんなに難しいことではない。でも、最後にゴールを決めるには、キーパーとセンターバックが自分に向かっている際、その瞬間に正しい判断をする必要があるんだ。それはミリ秒単位のことだ。また、悩んでいるときには、完璧な判断を下すための時間がないこともある。だからこそ、特にストライカーにとっては、頭をしっかりと切り替えることが大切なのさ。

あなたはいつもとても理性的で、とても集中しているように見えます。感情や不満をどのように吐き出していますか?

以前は、内面を出さないでおこうと思っていた。自分で解決すれば問題は解決すると思っていたんだ。それでも一時的にしのげるかもしれないが、長い目で見ると必ず何かが残ってしまう。とりあえず、常に気になることは話すようにしているよ。話し合っていると、自分で解決策が浮かぶこともある。妻との相性も良いね。妻はトレーナーで、空手の世界チャンピオンだったこともあり、僕の言いたいことを正確に理解してくれることが多いんだ。時に、妻に聞いてもらい、間違っていたら訂正してもらうこともある。一緒になって、ベストな方法を探しているよ。

奥様は栄養士でもありますね。あなたは、不健康なものに手を出してしまうことはありますか?脂っこいピザやハンバーガー、フライドポテトなど。それとも、罪悪感が勝ちますか?

ハンバーガーは好きじゃないね。ピザは、そうだね、たまにはいいかもしれない。ただし、グルテンフリーで、小麦粉を使用していないものならね。小麦粉は極力避けるようにしているんだ。以前は、ホワイトチョコレートを1本丸ごと食べられるほど、たくさんのお菓子を食べれたよ。今はカカオ80%のダークチョコレートを食べているが、これが結構好きなんだ。でも、普通のチョコレートはまったく食べたくならない。習慣的なものさ。コーラを毎日飲んでいると、飲むのをやめたときに体が反発する。あれ、何週間も毎日飲んでいたコーラはどこに行ったんだ?とね。それは、体にとってショックなことなんだ。

他に食生活で変えたことはありますか?

普通の牛乳では我慢できなくなった。妻から「数週間、お菓子と牛乳をやめて反応を見てみて」と言われたことがある。その後、朝の目覚めが良くなり、疲れにくくなったことに気づきいたんだ。しかし、食生活の何かを変えたとしても、数時間後や数日後では、すぐにその違いに気づかないこともある。しかし、35歳になったとき、「32歳の感覚」を味わえるかもしれない。つまり、先にやっていたことが後に良い影響を与える、とういことだね。

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この数ヶ月間の成功に対して、自分へのご褒美はありましたか?

僕には、物欲というものがないんだ。確かに、車は好きだし、趣味でもあり、速く走るのだって好きだ。道路ではなく、レーストラックでね。チャンピオンズリーグの決勝戦で優勝した後、知人から「このタイトルのために特別な時計を買わないか」と言われた。そして、「ああ、それは良いかも」と思い、購入してみたんだ。でも、それは僕が思い描いていた満足感とは違ったね。

今回の撮影では、あなたのことをよく知る仲間が一緒でしたね。あなたにとって、幼少期や青年期の友人はどれほど大切な存在ですか?

僕がまだポーランドの2部リーグでプレーしていた頃からの長い付き合いで、それ以来、彼らはいつも僕のそばにいてくれている。10歳の頃から親友とは、一緒にサッカーをしたり、いつも連絡を取り合ったりしているよ。たとえ僕がどこでプレーしていても、いつも僕の後を追って遊びに来てくれるので、友人たちは僕にとってとても大切な存在さ。ポーランドの2部リーグのズニチェ・プルシュクフにいた頃は、多い試合の時で最大2,000人が観戦してくれたこともあった。今では、チャンピオンズリーグにも同行してくれるし、世界で一番大きなスタジアムにも来てくれる。もちろん、コロナのパンデミックによって、今は複雑な状況だけどね。友人たちはいつも僕の支えになってくれており、それは僕自身にとって大きな意味を持っているんだ。

そして、新たな友人を作るのは簡単なことですか?バーに入って、「俺の名はロベルト。あなたは?」と言ってできるようなものではありませんね。

それは、有名になることの弊害の一つだ。その過程で、僕のことを利用しようとする人や、僕とは真逆の人たちにたくさん出会ったね。子供がいなければ、私生活でもかなり閉鎖的だっただろう。子供たちがこの世に生まれてきてくれたことで、父親になるということがどういうことなのか、人生において何が大切なのかがわかったんだ。一番大事なのは家族だ。負けた時や嫌なことがあった時でも、家に帰れば大笑いもするし喜んでくれる。これによって、僕自身、よりオープンで外向的な人間になれたよ。子供たちにも感謝している。しかし、それでも気をつけなければならないのは、初対面の人と会うときは、最初は控えめにして、相手の反応を見ることだ。有名なサッカー選手だと、楽なこともあれば、難しいこともある。それを受け入れなければならないね。

恋しいと思うのは何ですか?

見られているかもしれないと気負うことなく、家族と散歩に出掛ける、ということだね。誤解しないでほしいのは、ほとんどの人は僕にとても親切に接してくれる。いいプレーをしたね、と誰かが祝ってくれれば、もちろんそれは嬉しいことさ。また、それが人々にどのような意味があるのかも知っている。でも、たまには無名の人になりたいと思うこともある。例えば、匿名で散歩に出かけたりね。

今回の撮影の中で、工事用のクレーンで数メートルの高さまで、あなたは怖がることもなく上がっていきましたね。あなた自身、リスクを恐れない性格ですか?

アドレナリンが出たり、思い切ったことが好きなんだ。ウェイクボード、ジェットスキーは、非常に楽しいよ。新しいことに挑戦したり、新しいスポーツのトレーニングをしたりすることに、何か問題を感じたことはないね。

あなたにも怖いものはありますか?

(熟考してから)あるかどうかはわからないね。

それはいいことだと思います。

心配なのは、自分の健康面だけだね。それも自分のためではなく、周りの人たちのために。特にコロナの時代には、病院で起きている現実を見ると、そう思うよ。でも、あとバンジージャンプは足が心配だね。それだけは、絶対にやらないようにしているんだ。

撮影の合間に衣装替えをする際、きちんとハンガーに戻していましたね。周囲のすべてのものが決まった場所にあるという秩序は、あなたにとってどれほど重要ですか?

やや几帳面な性格なので、ある種の秩序は必要だね。かといって、過敏なわけでもないよ。16歳の時、姉と2人暮らしをしていたが、自分で料理や洗濯、部屋の整理整頓をしなければならなかった。祖父の古い家屋で、45平方メートルほどの広さがあり、僕らにはぴったりだった。その当時、僕が1つの部屋に住み、姉がもう1つの部屋に住んでいた。

今のあなたの生活とは、比べものにならないですね。

その当時は、とても満足していた。また、この時期に妻と出会い、一緒に勉学に励んでいた。その頃から、一人で家事をこなすことに慣れているので、靴下が片方ずつ部屋の隅と隅に散らばっている、なんて状況はなかったね。また、合宿の際、コーチからいつも自分たちでベッドメイクするように言われていたお陰もある。少年時代は、定期的に僕は両親の車を洗っていたが、車内に数ズウォティ硬貨を見つけると、新しいサッカーシューズを買うために貯金してもいいよ、と言われたこともあったね。

コロナの感染拡大により、プライベートで何か変化はありましたか?

最初のロックダウンでは、3~4週間、家にいた。ミュンヘンの天気は最高だったのを覚えている。3日後の試合のことや、翌日のトレーニングのことを考えずに、家にいるだけでよかったのは、約12年ぶりのことだったね。毎日のようにトレーニングをしていたが、家ではそれぞれの選手が自分のことを考えていた。僕は家族との時間を楽しむことができたよ。週末も含めてね。もうプロのサッカー選手じゃないような気分を感じたものだ。

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この数ヶ月間はどうでしたか?

誰にとっても大変な時期だったと思う。試合やトレーニングを実施し、自宅で試合を観戦してくれている人たちに感動を届けられることに、とても感謝しているよ。同時に、外からの声援がないのは寂しいね。空港から、ホテル、そしてスタジアムに移動。アウェーでプレーするときでも、いつも同じようなルーティンだ。応援してくれるファンもいないし、相手のサポーターがブーイングしてくれれば、それもモチベーションになる。

誰もいないスタジアムでプレイすることにはどうやって慣れましたか?

最初の3、4試合は非常に難しいものだった。そして、自分に言い聞かせたんだ。「今の状況をあるがまま受け入れるしかない」と。今では観客がいなくても完全に集中できるようになったとはいえ、外からの刺激がなくてまだ寂しいよ。再び、観客の前でプレーできる日を夢見ている。残念ながら、パンデミックではそれは不可能だね。

各地への移動が多かったサッカーですが、コロナによって、長い目で見て何か変化があると思いますか?

とにかく別々に移動する。以前からもそうだった。しかし、多くの人が人生で本当に大切なものは何かを考えるようになったのは、今になってからだと思う。コロナ以前は、ただ前を向いて歩くだけで、左右の状況が見えていなかったんだ。それが、コロナ時代に再び見直すキッカケになった。今まで重要だと思っていたことが、それほど重要ではなくなった、ということだ。

欧州選手権は予定通り開催されると思いますか?

そう願っているよ。観客がいれば、確かに運営は難しくなるだろう。しかし、今日のようにファン無しなら、開催できるはずだ。

2021年、サッカーはどのように進展していくのでしょうか。

コロナ禍以前なら、一部のチームが限度を超えた移籍金を支払い、適正な価格よりもはるかに高い金額で選手が取引されていたと思う。しかし、結局は、必ずしも与信があればやっていけるわけではない。コロナにより、主に与信でやり繰りするチームは、より多くの問題を抱えることになるだろう。とりあえず、移籍の数は確実に減るはずだ。問題は、観客が戻ってきたときにどうなるかだ。しかし、サッカーはいつの時代も、生でしか体験できないスポーツであり、その感動と選手たちがピッチで繰り広げるショーは、人々に愛されているのだ。それは、金さえあれば買えるような経験ではない。ピッチ上では、何が起こるかわからない。それが、サッカーの一番の醍醐味だと思う。

ヒーローには旅がつきものですが、あなたはポーランドからドルトムントを経て、ミュンヘンにやってきました。あなたの旅はここで終わりですか?それとも前に進んでいくのでしょうか?

今、僕はミュンヘンにいて、世界最高のチームでプレーし、チームメイトと楽しみ、とても充実している。もっと長い間、トップレベルでサッカーをしたいと思っているよ。FCバイエルンとの契約はあと2年だが、もっと長く考えられると思う。3年後、4年後のことはあまり考えていないよ。とはいえ、最低でもあと5年はプレーしたい。できることなら、もっと長くね。

▼元記事
https://www.gq-magazin.de/entertainment/artikel/robert-lewandowski-fc-bayern-muenchen-sein-weg-zum-erfolg-interview-coverstar


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