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ちゃんと絶望する

海外生活の経験で、つらいことがあった際や整理できない気持ちのときにする自分の習慣について今日は書いていく。

タイのチェンマイの生活で、日々目まぐるしくもあり気持ちの整理が上手にできない。

そして、同時にフリーランスになったばかりで仕事の取捨選択もままならないそんな時期が続いた。

以前の思考では考え悩む際に早い段階で自分の中の"うまく収め人"みたいなやつが登場していたように思える。

その登場により、
こんなこと考えても意味ないか、やめよう。などと収め上手になっていた。

海外生活で起こる出来事や波を、当初はうまく収めたつもりになっていた。

人生で色々経験してきたつもりだった、乗り越えてきたつもりだった自分は少し過信していたのかもしれない。

今振り返ると、海外生活で起こる出来事、心の動きは過去のそれとは種類が違っていて、また多種な要素の攻撃で対応しきれていなかったんだろう。

後にどんどん、収め人の効果が出なくなっていった。

泣いて胸が苦しくなる頻度が増えていった、その感覚が襲ってくるのが怖くて、また収めようとする自分がいたが困難になる。

それが続いたある日、
怖がりながらも収めず絶望するまで追い込んでみることにした。

大したことはない、ただ浮かぶ感情を一つ一つ自分で受け止めて収めることなく受け止めては泣いて。
悔しさも溢れて、でも何もできなくて、泣いて泣いてただその行為に夢中になった。

目が痛くなってきて、鼻水も大量に出て涙をふくたびに紙がどんどん減っていく。なんだこれ、と思いながら続けていく。

その結果、違う景色に出会ったのだ。
これを私は、絶望の先と呼ぶ。

その先に見えた景色は、

「あ、なんか疲れたな。そして、スッキリもしたし寝ようかな」

こんなもんだった。

昔、医療ドラマで先生が言っていた。
涙は防衛本能だ。幸せなホルモンが出ることで、自分を守ってあげているんだよ。

その言葉を思い出した。

はじめは、とても苦しい作業だった。
自分の中にどんだけ感情が眠っていたんだ、というくらい押し寄せてくる感情の波。

しかし、これはフタをして収めちゃっていた分が大量に溢れてきたからだ。

今は少しずつ、定期的に対処するようになったので以前のような長期に渡る大量感情爆発は起こることはない。

携帯を充電するのと同じで、がっつり減らしたら充電完了まで時間がかかるしエネルギーを要する。

50%くらいでチャージすれば、そこまで時間はかからないし負担も少ない。

携帯で例えたのは、ちょっと間違えた気がするがまあ、いいとする。

この絶望の先へいく、感情との向き合いをすることで私は気づいた。

人間はとても強い

涙は、いくらだって出る

泣いたあとでも食べたることができる

泣きながらでも食べることができる

人はもろいけど、思った以上に強くも造られている。

このことを海外生活のおかげで、知ることができた。

感情は、時に邪魔になったりわずらわしいこともある。
大事なことに集中するには、横に閉まっておきたいときもある。

しかし、これが大きなミスだった。

感情を置いてけぼりにすると、必ずツケがまわってくる。
定期検診のように、自分で自分のセルフケアが必要だ。

絶望の先へ行ったとしても、問題が解決するわけではない。
時に、問題が解決しないことで苦しむともある。

でも、それでいいんだと今は思える。

問題の解決は、脳みその役割
感情の動きは心の役割

それを一緒にして、心をずっと置いてけぼりにしてしまっていたのだ。

日本では、家族や友人がそばにいることでなんとかできたことだけど
新しく海外生活で違った環境に見を置くことで、自分自身の力をしっかり向上させる必要があったのだ。

ごまかしてはいけない、起きてる心の動きに早めに対処して、それからまた前へ進む。

海外生活でこんな経験ができるなんて、想像もしていなかったけど、今の自分から過去の自分を見つめると

なんて未熟だったんだろう

そう感じる。

まだまだこの先、想像を遥かに超えた壁に出会っていくだろう。

だからこそ、絶望の先へいけるようになって良かった。
改めて、そう思っている。

そして、これからも恐れずに何度でもちゃんと絶望していこうと思う。

また寝て食べて日常に戻れるのだから、怖くない。




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