岐路 2

自分は真面目だけが取り柄の人間だった。マニュアルに沿った規範の中でしか生きられず、自分の頭で考え、自ら決断を下すことができない。だから選択を迫られるといつも逡巡してしまう。判断基準を持たないからだ。そこに意志らしきものは存在しない。意識にあるのは周囲から反感を買わないよう、なるべく事態を穏便に済ませることだけなのだ。
これまでの18年間、僕はそんなふうにして自分を騙し騙し生きてきた。
きっと今度も無難に、事なかれでなんとかこの場を切り抜けれるだろう。そのはずだった。なのにどうしてあんな言葉を口にしてしまったのだろう。自分でもそれがよくわからない。ただ、自分の中にある“何か”が蠢いている。“何か”が抵抗している。そして“何か”が激しく訴えかけている。
「オレをここから出せ!」と…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

僕は先生の思いがけない返答に戸惑っていた。
なぜなら、ここに至るまで明確な進路選択の手順を示してくれなかったからだ。僕は当然これまでのように先生が手取り足取り指導してくれるものだと本気で思っていた。
とにかく進学する動機が見つかりさえすれば気持ちの整理がつくかもしれない。ならば、やっぱりさっき先生に投げ掛けた
「なぜ学校に行くのか」
という問いに答えてもらうしかない。けれど、くどいと思われやしないだろうか。にわかに逡巡が脳裏を駆けめぐる。
いや、もうこうなったら勇気を出してとことん本音を暴露するしかない。大丈夫。曲がりなりにもこの三年間ずっと一緒だったんだ。きっと先生は自分のことを何から何まで把握してくれているに違いない。そうだとしたら自分の行くべき道もちゃんと示してくれるかも。僕は再び恐る恐る先生にこう話した。

僕「どうしても何のために学校に行くのかが知りたいんです。教えていただけないでしょうか?」
 
すると先生は僕のその言葉が聞こえたのか聞こえなかったのかそのまま黙り込んでしまった。そして、しばらく考え込む素振りを見せた後こう答えた。
 
先生「はっきり言って今お前がそういう類いの質問をすることは適切じゃない。わかるか?それは哲学の分野のテーマであって進路には直接関係がないしそれを教えるのは俺の仕事じゃない。畑違いってもんだ。そうだろう?ここは進学科だ。進学を希望する生徒が集まるクラスだ。その生徒に対しなぜ大学に進学する理由を俺が説かないといけない?ここは大学入試を目的とし、そのためのノウハウを提供する場であって、教師としての俺の領域はあくまで進学に関しての戦略的な部分をアプローチすることだけだ。どうしてもお前のその疑問を解決したければ自分で勝手に哲学書でもなんでも買って読むがいい。俺はそこには関与しない」
 
確かこの時先生は「良い仕事にありつくため」のようなことは言わなかったと思う。いくらリアリストの先生と言えどそこは一人の教育者である。教え子に対しそんな生々しい表現を口にすることにいささか躊躇いを感じたからなのかもしれない。(岐路3へ続く)

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