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岐路 終

本当の自分が知りたい。
 
そのためには例えワガママだと言われたとしても自分らしく生きることをどこまでも貫く。
一旦そう心に決め込んでしまえば、不思議と気分が楽になった。
もう怖いものはない。
 
それから先生は顔を合わす度、僕の東京行きを止めようとしつこく絡んできたが僕の決心は固く、ひたすら先生を無視し続けた。
 
どうせわかってもらえないんだ。
向き合う必要などなかった。
 
ただ、親の説得には苦労した。新聞配達のアルバイトで貯めたなけなしの金を引っ越しの必要経費にあてることを条件に何度も衝突し、半ば強引に同意に漕ぎ着けた。
 
これでいい。
迷惑が掛からない道より後悔をしない道を選ぼう。
 
早く卒業して新たな人生に乗り出したい。
自分を変えたい。自分を知りたい。人生を知りたい。世の中を知りたい。もっと賢くなりたい。みんなを見返したい。自分を好きになりたい。真実をつかみたい。自由になりたい。そしてなにより幸せになりたい・・・

毎日そんなことばかり考えていた。
あれほど億劫だった受験勉強にも自然と精が出た。これが希望の力なのか。
なんだってやれる気がするし、どんな障害だって苦にせず乗り越えていけるような気がした。

そして、卒業式を前日に控えた日。
ホームルームで先生が一枚のプリントをクラス全員に配った。
話によると、先生は約2ヶ月の入試期間中に長い間患っていた病気の治療に専念するため、思い切って入院に踏み切ったらしい。
入院期間中にさまざまな思いが脳裏を過ったらしく、その想いを書き綴ったのがそのプリントの内容なのだとのこと。
そこには、進学や就職に成功することが人生において重要だという考えを疑問視する意見を述べ、今まで良い大学に入学することのみを徹頭徹尾僕らに強いてきた事への反省と後悔の念が綴られていた。
僕はその場でプリントをくしゃくしゃにして捨てた。

「何言ってやがる」

と思った。
まるで自作自演じゃないか。
危うく道を踏み外すところだった。生徒を正しい方へ導くべきの教師がこんなことでは困る。僕は認めない。美談になんてさせるものか。
けれど皮肉にも、先生の個性度外視の独善的な教育理念が僕の主体的・自発的意思を誕生せしめ、眠っていた自我を目覚めさせるに至った。
そう捉えると先生は甘ったれで臆病な僕が越えなければならない“最良の「壁」”だったようにも思えてくる。だがしかし、そんなふうに解釈するには日は浅く、そして僕自身もまだ歩き始めたばかりの少年に過ぎなかった。(完)

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