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初めてわいた"明確な怒り"


-----------アナタたちがこれまで、
子供が、恋愛が、家庭が、で奪って来た私の時間を返せ。

それは、これまで感じたことのなかった初めての”明確な怒り”だった。

私が限界を迎え、職務軽減したがために誰かに負担がかかるのは目に見えていた。

当初は「シフトが変わったことで誰かに負担をかけるかも・・・って考えるのは、みんなお互いに無し!この体制でやって行こう!」

あの日、そう決まったものの、その”誰か”が限界を感じるのはそう遠くない未来だと言うことも解っていて、申し訳ない気持ちだった。

今までもずっと、私ができないことがあるせいで周りが負担を被っている、だからせめて時間や出勤日の融通を効かせる事で貢献しようと、そう思っていた。

誰かがコロナに感染した時も、誰かが家庭の事情で出勤できなくなった日も、誰かが連休を取得して旅行に行った時も。

誰かが恋愛にうつつを抜かして仕事に全く手をつけなかったあの時期も。

そして”そう遠くない未来”は早速やってきたのだ。


●おかしいのは誰なのか?

このところ、今年5月・6月ごろに私が受注した仕事のやり取りに不備が見つかった。

「なんでこんな朝早くからのスケジュールになってるの?」
「これだとみんな早出になるでしょう?

と上司は言ったが、受注当時確認した時は「OK」をもらえていた案件だ。
私が心身に不調をきたす前、今のようなシフトに変わる前の話なので、当時はこの時間組で全く問題はなかったはずだ。

今とは状況が明らかに違うものに対して、”今”だけにフォーカスした、しかもまるで私が有責であるような言い方に、どういう気持ちで答えていいのかわからず、返答に困った。

「”今は”無理があるかもしれないが、当時は普通に対応できた案件だ。」
「シフト変更以前なら私が早朝から対応する予定だったはずだ。」

など、本来色々と反論材料はあるのだが、この状態の時の上司には何を言っても”火に油”・・・こちらの言い分は全て言い訳と捉えられるとわかっているので、もはや何を口にするのも時間の無駄だ。

”今と当時では状況が違う”それが理由にならないのなら、この時間からの発注を承諾した私はもうこの頃から既に”おかしかった”のだろう。

諦めにも似た感情が湧く。

そしてこの出来事を皮切りに、一気に会社の空気は淀み始めた。


●プツン。心の糸が切れた。

本来なら退勤の時間だったが、
今日は流石に少し残った方が良さそうな雰囲気だ、と判断した私は、彼に連絡を入れて社に残った。

次々と予約が入り来客対応に追われる中、あれがダメだ、これがダメだと不機嫌をマックスで目に付くことの全てにダメ出しをし始めた上司。

相手が客だろうがお構いなしに。

私のせいだと言わんばかりに感情をむき出しに仕事をこなし、最後には、

「あなたがこの時間帯に来れないからこうなっているのにこんな予約の取り方では捌けない。考えてくれないと!何かに関しては責任を取らないと!!」

それだけ言い捨てて「外の空気を吸ってくる」と去っていったその場所で、私は目の前のテーブルを拳で叩きつけそうになった。


責任ならこれまで散々取ってきた。
むしろ、自分の事情でシフトに穴を開けたり、出勤が予約の時間に間に合わない人がいる中、早朝から夜21時を回るまで一人で必死に、ある時は暴言を吐かれ、ある時は無駄に頭を下げやったきた。

「力を入れたい」と言う割に誰もやらない広告活動にも工夫を凝らし、一人で対応し、効果が出ないことに一人で落ち込み、なぜか恋愛話で過ぎ去っていく名ばかりの”ミーティング”の間にも、私だけはすべき事を、と頑張ってきた。

リサーチし、企画を提出してあとはゴーを待つだけの状態で放置されている案件もどんどん増えていく。

「やる」と聞いていた求人も、出ている様子もない。

この無駄な時間の間に、私がこんなふうになる前に、もっと適切な労働環境を整える事や、お客様のためにできる事、会社の発展のためにできる事がたくさんあったはずだ。

いい加減にしろ!!!!!!!

強い怒りを感じたのは、今回が初めてだ。

私は、自覚のある”いい人”だ。
一度お世話になった会社には、きちんと礼儀を尽くし、貢献したいし、困っている相手がいるなら助けたい。

ほとんどの出来事を自分有責と捉え、できるだけのカバーをしてきた。

これまでも理不尽なことは多々あったが、相手の心情を察して人を許し、許し、ゆるしてきた。

今回も相手の気持ちはわかる。
私とて、これまでに同じような経験をしたことがないわけではない。

だから、”遠くない未来”がやってくるのをわかっていたし、だからできるだけ早く求人を出し、誰もが楽に、一方的に負担を被ることなく働ける環境を作って欲しかった。

誰かに負担をかけたり、誰かをこんなふうに怒らせたりするためにわざとこうなったわけでもない。


今回の事を、私はもう許せなかった。
自分に非があるとも思わなかった。あったとしても自分だけが有責だとは全く思わなかった。

プツンと、音がした。

もういい。もういいんだ。ここは何もかもがおかしい。異常だ。

淡々とその後の職務をこなし、まだ不機嫌そうな上司を残して会社を去った。


●見切りはついた。

「お疲れ様です」と言いながら携帯を取り出し、この日はすでに帰宅していた彼に連絡を入れた。

”すごく腹が立っている”
”職務軽減で自分が忙しくなったからってひどく八つ当たりされた”
”私、今までそんなに無責任な仕事をしてきた覚えもない!”
”もう辞める!”

そこまでラインでやり取りをしたが怒りはおさまらず、電話に切り替えた。


彼と話す中で、
自分が本当に”もういい”と”辞める”と冷静に判断できている事、心から見切りがついている事を自覚した。

その証拠に一滴も涙が出なかった。

冷静に今、自分が何に腹を立てていて、何が嫌なのかを説明し、だからなのか電話口の彼も穏やかで、

「ああ。そうか。もう無理やな。」

と笑っていた。

彼は言う。
上司は本当は、私にではなく”自分に”・・・

人の流れや旅行・娯楽が戻り、来客が戻りつつある世の中で、スタッフに負担がかかっている事を自覚しながら対策を怠ったことや、真剣に仕事に取り組まなかった事に、腹を立てているのだと。

私もそれには同意だ。

「”やってしまった”、と、多分思ってるよ。これでconaが退職する理由が増えたようなモンだから。」

----そうだろうね。
それでもこれまでも今も、私が言われてきた、されてきた事が消えるわけじゃない。

今回のことは、私の問題ではなく相手の問題だ。

最近どこかで見た”課題の分離”が頭をよぎる。

今回の出来事を受けて、この先この問題を”どう”するのか考えるのは私の役目ではないし、どんな捉え方をするのかは相手次第だ。

それを受けた私がどうするのかには、相手には介入する権利はない。


これまでは家庭の事情でその時間帯の勤務をしなかった同僚までもが駆り出され、夜遅くまで働く日も出てきた。

申し訳ないとは思うが、今彼女たちが感じている痛みは、これまで全て私が感じ、請け負ってきたものだと思えば申し訳なさも半減した。

それだけ私の中で、この会社に対する愛情が目減りしてしまっているのだ。


もう今更、相手の事情やその後、家庭にかかってしまった負担を考える事もしたくない。

これまではそうして、私の意志関係なくの長時間勤務や急なシフト変更で、彼との時間や大切な友人との時間を棒に振ってきたんだから。

もはや意志を確認されたことすらない。

何度、彼と過ごす休日を見送ってきたか。


他人の不幸を願うわけではない。
だが結果として、”そう”なってしまう事も私の責任ではない。



”いよいよ私の退職物語も終わりに近づいている。”

そう思いながら彼の待つ、優しい我が街への道を急いだ。

もう心の中に、寂しさや悲しさはなかった。


●”いなくなられたら困るから”

私の上司は基本的に熱く・厳しいが、愛情を持って人と接する人間だ。
仕事は丁寧で美しく、完璧主義で”怖い”という印象を持たれがちだが、意外に大きい感情の起伏や発言の端々に人間味を感じることの出来るお茶目さもある。

私はこの人を、そして職場の人間を決して嫌いにはなれない。

悪い人ではないのだ。
ただ、時々行きすぎた人格否定や厳しすぎる指導で、スタッフのメンタルを壊しかねないところを”非常に危うい”と以前から感じていた。

私たちのように、「忍耐は美徳」と教え込まれた世代ならまだしも、働き方も個人の時間の使い方も多様になってきたこのご時世では、「昔はこうだった」「私たちの時代は・・・」なんて話を聞かせたところで「古い」「馬鹿らしい」と一蹴されてしまうだろう。

私たちの業界では、それが”当たり前”でだから若い世代が育たない・入ってこない。

若い世代とは言えない私ですら、こんな有様なのだ。

弊社も例に漏れずこの旧体制であるが故に、次世代を繋ぎ止める事は難しいと私は思う。

下手すれば「パワハラだ!」と訴えられかねない。
「労働基準法違反です!」と指摘されかねない。

”このまま”続けていくのは、どちらにしろ無理だ。

以前も記事にしたが、どこかでこの旧体制に基づく根性論とやりがい搾取を止め、柔軟にアップデートしなければ、この先どんどん担い手はいなくなるだろう。

たとえ集客ができたとしても、そこで働くものがいないのでは生き残れないのだ。

もう、既存のやり方では通用しない。


私なき後残るメンバーのシフトが不安定である事も、誰に負担がかかるのかも、どんな雰囲気になるのかも手に取るようにわかる。

それでも心は痛まない。
好きとか嫌いとか、そう言う問題ではない。

「conaさんが辞めたらどうなるんですか!!」…以前、退職を仄めかした時に後輩に言われたが、そう言われても困るのだ。

むしろ私ごときが辞めたぐらいでどうにかなるような会社である事に危機感を持って頂きたい。


引き留めてほしいわけではない。
ただ、もうこの不毛な、他人との時間の奪い合いからリタイヤしたい。
それだけだ。

何のリスクヘッジも取らず、ただ”いなくなられたら困るから”と言う理由でなぜ私が、自分のための人生や大切な人の時間を奪われなければならないのだろうか。

私の人生のおいて、どのような選択をするかは私のみに権限がある。


決して諦めず退職に向かうと決めた夜だった。

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