今日はただ、空の美しさを。
鬱々とした記事が続いてしまった。
…元々そんなつもりで始めたnoteだったから、自分の中で違和感はないし、気持ちを整理するこの時間は悪くはない。
何かを感じた時、何かあった時、こうしてその出来事を書き置いておける場所がある。
それは私の救いでもある。
今日はタイトルの通り、ただ、朝焼けがきれいだったよ、と言う日記です。
●特別な景色。
京都に住んでいた頃も朝焼けを綺麗だと思った事、写真におさめた事は幾度ととなくあるが、これまで見てきたほとんどのそれは"感動"と言うには少し物足りなかったようにさえ思う。
越してきて以来に目にする朝焼けには、ずん、と胸に響くような、それだけで今朝の寝覚の悪さや、これから自分が立ち向かう仕事という名の"現実"、現在の悩みや悲しみ・苦しみなど一切の重苦しい感情を全て消し去るような"感動"を胸いっぱいに覚える。
自然豊かで、どこかノスタルジーを誘うこの土地の雰囲気が風景の美しさを際立てているのか、はたまた現在の心持ちがそうさせているのか。
叶うなら空が明けて朝日向こう側から昇って来る、自分にとっては"特別"なこの瞬間を何も考えずにただ見守っていたい。
今日の空は特に綺麗に映った。
「空が美しい」と思った瞬間から、早くこの光景を写真におさめたくて夢中で駅まで自転車を漕いだ。
このところの激情と、突然変わった勤務形態への戸惑いや躊躇い、後ろめたさで疲れ切っていたはずの身体は何故か軽い。
トップ画像となった空の写真を撮影した時には、既に電車はホームに到着しようとしていた。
この朝焼けを、美しい私の街の空模様を、スマホカメラで切り取りながらゆっくりと駅へ向かえたら、きっと充実した1日の始まりとなったはずだ。
疲れていたから、と、ギリギリの時刻に自宅を出発した事を心から後悔しながら、金色に光る空を夢中で撮り続けた。
電車が膳所駅に到着する頃には、目を開けていられないほどの眩い光が、車窓を流れる往路の風景をオレンジ色に染め上げる。
「見守っているよ」と神様に言われたような気がした。
早朝からの勤務は特に気が重い。
だけど、この時間だからこそ出会える景色もあると知った。
この空を「美しい」と思える、素直に感動できる、そんな自分も嫌いではない。
24時間のうちの、たった十数分。
短いけれど、苦しみとは無縁の感動的な瞬間が、私を生かしてくれている。
神様、ありがとうございます。
まだまだ迷いは残っている。
決して消えた訳ではない。
"退職"と言う選択肢を、今も心の隅にお守りとして置いてある。
それでも今日1日だけでも諦めずに、人に喜んでもらえるような仕事をしたい、自分にできる事を、今すべき事を、「精一杯やった」と思いながら、またこの街に帰って来たい。
そう思えた朝だった。
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