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SFであり現実的でもあるゲーム『Life is Strange』レビュー あまりにリアルな諦念

 心に残ったゲームというハッシュタグにちなんで、自分が挙げたいゲームは『Life is Strange』だ。簡単にゲームの内容を要約すると、主人公である女学生マックスがある日、時間を巻き戻す能力に目覚め、親友であるクロエを度重なる苦難から救うといったもの。時間を巻き戻せるという時点で非現実的な物語であるのは間違いないが、しかしこのゲームには単にフィクションと割り切ることのできないリアルさが存在している。

 まず第一に、作中の主人公たちを取り巻く環境は非常に生生しい。金持ちの息子の横暴や、それを見て見ぬふりでやり過ごそうとする学校。生徒間のいじめや派閥争い。また、動物たちの大量変死など。どこか、現実世界とも重なる問題があちこちに散りばめられていて、これは単なる別世界の話でないのだと感じさせる。

 そして、関連してそうした問題群に対しての諦めを突きつけてくるのが非常にリアルだ。教室でいじめの現場を目撃しても上手に解決に導くことはできず、どう選択しようにも誰かは心に傷をつけてしまう。街を襲う天変地異は、すでに一個人で対処できるものでないので逃げ惑うことしかできない(親友クロエを犠牲にしない限り)。何より、エンディング直前においてこの街を襲う天変地異がマックスのクロエを救うための努力(過去を変える行為)に起因して起こっていることが判明した際は、だとすれば自分のしてきたことは何も意味をなさなかったのかと悲しくなった。

 エンディングは分岐であるが、ここでは自分の選んだ選択し「クロエを犠牲にする」ルートで考えたい。なぜこちらを選んだのかというと、感情で判断しきれないので理路整然とした判断(つまり、一人の友人を救うという私的な行為で、街の住民たちを犠牲にできない)に頼るしかなかったからだ。このルートを選ぶと、マックスとクロエが二人で困難に立ち向かい、その過程で友情を深めていくという現実は消えてしまう。マックスの記憶に存在するクロエとの想いでは非現実と変わるのだ。もちろん、その体験は記憶としては存在する。しかし、クロエが死亡してしまうことで、クロエの中でのマックスを消える。それはおろか、クロエがマックスとの交流の中で得た様々な気付きもなかったこととなり、クロエは街で起こった事件については何も知らないままで途絶えた存在ということになる。

 自分はストーリー上で想像を絶する苦境に立ち向かうクロエに何か救いがあればとプレイしていたが、この結末はあまりに悲しくなった。言ってみれば、最初から救いようのない人生だったことになる。だが、私たちの現実を振り返ってもこれは同じことが言えるのではないかと考えた。人生には諦めてしまう(そうしなくてはならない)ことが多くあって、中には運命的なものもある。いわゆる家庭の事情や才能の問題の類もそうだ。決してグラフィックもリアルではないこのゲームに、まるで現実の写し鏡であるよう感じたのは、自分の諦めの体験の数々を感覚的に思い出させたからなのかもしれない。

 このゲームの物語の意味は何であったか。マックスにifストーリを体験させること。困難に抗う胆力を養うこと。いろいろと解釈はできると思うが、自分はマックス、そしてプレイヤーに諦めなければならないことを突きつけることであると思った。このゲームの最後の選択肢は、街を犠牲にするか、親友を犠牲にするか。どちらかを諦める選択を選ぶことだ。何かを選ぶというと肯定的なイメージになるかもしれないが、それは同時に他方を諦めているのだ。選択と諦めは不可分にして離れられない。このゲームは、その内の後者、諦めが、如何に物事の選択に優位に立ち得るかを示している。

表題画像はsquare-enix.comより

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