就活セクシズムについて思うこと

 少し前に、BBCから日本のセクシズムにてついての記事が出されていた(その記事のリンク→https://www.bbc.com/news/world-asia-55344408)。そこでは、例えば日本で就活をしようものなら学生は画一的な男女のイメージに沿うように自らのアイデンティティを"矯正"しなければならない場面があるなど、自分も含めてだがおそらく就活に挑む際に大なり小なり感じる問題点は紹介されていた。

 自分の体験談を少しだけ紹介したい。自分はAgenderを自認していて、いわゆる性差が明確に出るような立ち居振る舞いを苦手としている。しかし、就活をしようものなら、そんな個人のジェンダー認識なんてものは考慮されない。スーツを買いに行くと、採寸の末に男らしい線を出せるようにと余計な親切を受け、しまいにはネクタイの柄の意味を教わった。散髪に行けば、細々と自分の思うイメージを伝えたところで、就活というワードを聞くや否や気味の悪いくらいに短髪にされる。そうした苦痛を伴う前準備を乗り越えたら、面接の場では彼女はいるのか?などと紋切り型の性別二元論を押し付けられる。何度めげそうになったか覚えてもいないが、とにかくここさえ乗り切ればと就活の期間は、自分の事を別人だと思うことでどうにかやり過ごすことができた。

 救いのない話になるが、企業の語るジェンダーフリーなどの甘言は実を伴うものでないことが多いと感じた。およそ、社会的な面目を保つためだけについで程度に「ウチの会社はLGBTにも寛容です」などとパンフレットの端に書き足した程度のものだ。自分の経験上、会社の主張するジェンダー的寛容には裏切られることが多かったのでそう思う。(そして、多分本当にそうした配慮のある会社もあるのだろう。自分は見つけられなかったが。)少なくとも、いわゆる一般的な就活をしようとするならば、大抵セクシズムを通らなくては土俵にすら立てないので、この点は同意頂けるのではないだろうか。大手を見ると分かり易いと思うが、そこで働いている重役の面々がいかに典型的なジェンダーバイアスを有しているか。自分の体験では、想像をはるかに上回る酷さだった。

 男は家庭を養うべきだとか、それに足るための雄々しさと挑戦心を持たねばならないとか、そういった言い方を就活中なんども聞いてきて、その度にあきれ返ってしまっていた。日本のジェンダー平等指数のひどさは周知のことであるが、おそらく就活の体質として、そのような指摘を受け配慮しようなどという考えはほぼほぼないのだろう。詳しい割合は知らないが、それなりの%を占めるシスジェンダーの異性愛者で会社が回せればそれで良いのだと考えているのではないか。それでこれまでやってこれているのだから、マイノリティのことなどさして関心すらないのではないか。少なくとも、自分はそう考えてしまう程に就活の経験は救いのないものであった。

 就活はどうしても学生が弱い立場にある分、社会にはびこるセクシズムが鮮明に顕在化する機会となっている。薄々と感じているヘテロセクシャルノーマティヴィティと直面することを強いられるのだ。やはり数の力というのは強大なのだろう。草の根でこうしたジェンダー問題の是正を目指す活動があるのは知っているが、しかしおそらく就活の範囲の90%以上でそうした試みは真摯に受け止められていないのだろう。繰り返すが、少なくとも自分の経験上、会社によるジェンダー方面への取り組みというのは口だけの形骸的なものであることがほとんどだと感じた。いずれ大々的な社会問題としての認知が広まるまで、就活セクシズムは温存されるのだろうか。悲しくも、これから先も自分と同様の苦悩が多く生み出されるのではないかと憂慮している。

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