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誰の夏にも、青は鳴るだけ(仮) ‐0話目‐

 誰にだってひとつくらいは、譲れないものがあるのだと思う。
 信条、思想、哲学、価値観。晴れ、赤、珈琲、教義、法律、漫画、煙草、アニメ、薬、猫、朝焼け、いのち。 
 言葉選びを間違えた。『譲りたくないもの』のほうが正しい。
――じゃないと、空っぽのものはこのお話に参加できなくなってしまう。
 例えば、彼女――雨乃盛夏みたいに。

「僕はいのちをえらぶよ。たまに、何かのためにいのちを捨ててしまいたくなるけれど、きっとあれは勘違いだ。一時の誤解のために、いのちを投げ出したくは無い」
 そうは言っても、僕は、たまに何かに殉じたいと思わせてくれるその勘違いが好きだった。勘違いが、人を救うことだってある。
「じゃあ……いのちの無い私は、マイナスドライバーかなー。整備のとき、アイツは良い仕事をしてくれるんだ。かゆいところに手が届くってやつだね」
 昼休みの後の教室みたいに緩慢な口調で、アンドロイドのユキは答える。
 こんなゆるい女の子が精密なアンドロイドだなんて、なんだかすこし笑えてしまう。
 というか、整備にマイナスドライバーを使うことがなんだか前時代的で驚きだ。一度そのシーンを見てみたくて、前にその願望を零したことがある。そうしたらユキは僕の顔をまじまじと視たあとに、”キミも意外と男の子なんだね”とかなんとか言って、恥らっていた。
 その姿は、とても人間的に可愛らしかった。恥じる理由は、人間的ではないけれど。しかもなんでそう人間臭いのか、開発者にでも話を聞きたいが、きっと。
人間を模倣したほうがよほど”人間味”が出るのかもしれない。
たとえば、小説みたいに。あるいは、感動みたいに。

「盛夏は?」
「善行です」
「ふ~ん……善、とか正しさ、じゃなくて?」
「善という概念は、きっと正しさそのものですが、正しくそこに在るだけです。直接、人を救いません。善人は、確実には救いをもたらせません。ならわたしは、行為そのものを選択します」
 雨乃盛夏は人間だけれど、とても機械的に思考する。
「確実さを選ぶべきなら、幸福とか救いとかの方が適してない?」
「現実味を考慮してみました。完璧な幸福や救いを、わたしは見たことがありません」
「それなら、完璧な善行だって見たこと無いよ。そもそも……そんなに言葉に潔癖じゃ、僕たちはきっと何も話せなくなってしまうんじゃないかな」
 しばしの間、盛夏は難しそうな顔で黙りこくった。彼女の言動は人間味に欠けるけれど、意外にもその表情は豊かだ。
「そうですね、では訂正をします。完璧な救いや幸福を目指す、その『意志』を。わたしは譲りたくありません」
ユキは盛夏の回答に、やたらと神妙な表情で頷いた。と思ったら

――――臆病者の恋心ほど、純粋で無垢なものは無いと思う。だからきっと、それはこの世で一番脆くて、綺麗で、痛い。
さっきからうだ、うだ、……と。何の話をしているのか。

突き抜けるような空の高さ、無遠慮に射し込む教室の眩い窓際。 
教科書が燃えそうだなんて錯覚するほど暑くて熱い、机に溜まった熱。
要するとそんな時期に僕は。勇敢な女の子に、臆病に恋をした。
ほんとうに熱いばかりの、高1の夏だった。

 

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