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ナムルとピビムパプの小さな衝突

食習慣の違いというのは、国と国の間はもちろん、国の中にだってある。

納豆のように地域で習慣が違うこともあるし、麺類のバリエーションなんて語るのがおこがましいくらいに、たくさんある。

わたしはアメリカに来て、ご年配のかたが「結構な確率でお魚の生食を嫌う」ということを知った。

こちらが日本人だとわかると、一般的なトピックとして「アメリカで和食はどうしているのか」といった話になるのだが、隣の隣の家に住まっていたご年配の夫婦は「生の魚はどうしても食べられないから、お寿司はスモークサーモンだけ食べる」と言っていた。

これはたぶん、人生において「生で魚を食べる」という食習慣がなかった世代だからだろう。

そういえば以前、バンコクに行ったとき

「タイには魚介の生食文化がないから、タイ人向けに売っているお寿司のネタって、みんな火を通してあるものなんですよ。ギリギリでスモークサーモンですかね。」

と、ガイドをお願いしたタイ人女子に教えてもらったこともあった。

確かに、スーパーでひとつひとつ個別にパックされて売られていたお寿司(写真は実際にバンコクの一般的なスーパーで撮影したもの)は、スモークサーモン、ゆで海老、ツナ缶、卵焼きなどを使ったものだった。

これも食習慣から来ているものだと思う。

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アメリカで和食や韓国料理がここまで普及したから、今では海苔も抵抗なく食べられているが、その昔は、おむすびや海苔の小分けパックを学校のスナックに持参した日本人の子どもが「カーボン紙を食べている」といじめられたこともあったそうだ。

海苔は見慣れないものだから、アメリカ人の子どもにはとても奇異に見えたのだろう。

見慣れないものは、どうも食べられない…。
そういった事件は、わたしの過去にもあった。

たぶんまだ年齢が一桁の頃だったと思うのだが、夏休みのある日、わたしはひとりで留守番をしていた。
弟が不在だった理由は憶えていないが、とにかくひとりだった。

そのときの母は、すぐ近くに住んでいるわたしの幼なじみの母と買い物に出ていた。
だが、お昼になっても、お昼をすぎても、母は帰ってこない。

いいかげん、おなかが空いてどうしようもなかったが、その時、家には空腹をやり過ごせそうなものが何もなかった(だから買い物に出たのだろう)。

なので、本を読みながら、ジッと母が戻ってくるのを待った。

1時も近くなって、母は「ごめんね、おなか空いたでしょう」と、幼なじみの母と一緒に戻ってきた。
どうやら、感じからしてふたりはお昼ごはんを済ませて来たらしい。

ああ、やっとお昼ごはんを食べられる…。
と思ったわたしに出されたのは「丼に盛られたごはんに、細切り野菜のなにかがのったもの」だった。

まだコンビニ弁当が一般的ではなかった時代。
母はすぐに子どもに食べさせられるように…と思ったのだろう、パック売りのごはんを丼によそい、これまたお惣菜をパパっとのせたらしい。

今なら、それが「ピビムパプ」だと、すぐわかる。

が、しかし。
不幸なことに、そのときのわたしは、目の前に出された食べ物が何であるのかが、まったく理解できなかった。

当時はまだ今の日本ほど自宅食のバリエーションがない時代だし(基本は和食の定食=おかず・ごはん・味噌汁)、実家には「家族で焼き肉屋に行く」という習慣がなかったこともあって、韓国料理への親しみがまったくなかったからだ。
母はおそらく結婚前の生活で、「ピビムパプ」が何であるかを知っていたのだろう。

でも、わたしにとって目の前にあるものは「ごはんに細切りの野菜がのったなにか」。

どうやって食べるのかすらもわからないし、どんな味がするのかもまったく想像できない。想像ができないから、なんとなく手が伸びない。

もやしと、ほうれん草と、茶色いもの(ゼンマイ)と、人参。
彩りは悪くないが、ナムルは基本的に塩で味付けしてあるものだから、茹でた野菜がそのままのっているようにしか見えなくて、食欲をそそるものには感じられなかった。

炒り卵でものっていれば印象が違っていたかもしれないが、そこにあるのは、ごはんにのった何味かもわからない細切り野菜のみ。常温だから、香りが立っているわけでもない。
キムチはさすがに子どもには無理だと考えたのか、のっていなかった。

いずれにせよ、子どもには少々、ハードモードと言えるだろう。

しかも、当時のわたしは自閉傾向が強かったこともあって、見慣れないものはとにかく「イヤ」という感情が先に来てしまっていた。

手を出しあぐねて、渡されたスプーンを手にしたままグズグズしているわたしに母はイラッと来たようで「どうして食べないの?美味しいのに!」と声を荒げる。
幼なじみの母は、向かいの椅子に座ってお茶をすすりながら「美味しいのよ〜?」とか言っている。

わたしは「これ、どういうものかわからないから、どうしたらいいかわからない」と答えた。

「じゃあ、もう、食べなくていい!!」
苛ついた母はわたしの前から丼を取り上げようとしたが、さすがにそれは『用意してもらったのに、申し訳ない』と思ったので、「ちゃんと、食べるよ!」と丼をおさえて自分のもとに引き戻した。

でもやっぱり、口にしてもどういうものかはわからなかった。
美味しいのかまずいのかもわからないし、何しろ味が理解できないから、最後はなじみのある「お醤油」をかけて食べた。韓国人もビックリだろう。

人生でまったく知らない食文化と出合ったのは、それが最初だった。

今はナムルだってピビムパプだって自分で作るし、それらの美味しさもわかる。

今にして思うに、あれは家族あるあるの「小さな衝突」だったのだが、それもまた今となっては懐かしい。

でも、あのとき「見慣れないもの」に出合って困っているわたしに、ひとこと「これはこうして食べたら、美味しいんだよ」と言ってもらえたら、あの氣まずい思いと味は、なかったかもしれない。

当時の母は家で働きつつ、外食もほぼ利用せずに家事をしっかりやっていた忙しい人だったから、そこまではできなかったのだろう…ということは今ならわかる。
留守番させていた子どもの空腹を少しでも早く、そして健康的に満たそうとしてくれたのだ、ということも。

なら、いつかもし、わたしが作った「見慣れないもの」に出合って困っている人がいたら、そう言ってあげられるようになろう。

「これはこうして食べたら、美味しいんだよ!」と。

新しい味の扉を開くのはちょっと勇気がいるけれど、決して悪いことじゃない。わたしも未だに「こんなのあるんだ!」と驚くことがいっぱいある。
でも、第一印象がよければ、意外と「アレ、美味しいよ?」ってなるものだ。

誰かに作っていただくものでも、自分が作るものでも「見慣れないもの」はなかなかに楽しい。
これからもちょっと勇気を出して、楽しんでいこう。

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