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Aくんのテクノポップ読経

高橋幸宏さんの訃報を聞いて、思い出したことがあった。
中学生だったころのことだ。

わたしが育ったのは首都圏の新興住宅地。
通った小学校も中学校も、人口の増加に合わせて急ぎで作られたため、すべてが「作りかけ」または「作ったばっかり」だった。
通っていたころには校歌もなかったし、校舎は建て増し中、体育館もプールも仕上がっておらず、校庭はまだ整備中、というホヤホヤぶり。

人口がどんどん増えていた街には子どもたちもたくさんいたから、ちょっとした実験もされた。
「実験」とは言っても危険なものではなく、「ある一定の時期に生まれた子を集めたクラスを作ったら、なにがどうなるのか」というやつだった。

それはわたしが長じてから聞かされたことで、親たちは当時から知っていたらしい。
わたしがいたその「実験」クラスは「早生まれの子」を集めたものだった。

その中学校には、同じ街にあった小学校・2校を卒業した生徒が通っていて、割合は大体、学年全員で半々くらい。
なので、クラスには知っている子もいるけど、知らない子もいる。

やがて学校に馴染み、クラスメイトが徐々に親しくなると、休み時間の雑談に「誕生日はいつ?」みたいな定番の話題が出た。
わたしが不思議だったのは、「クラスメイトのかなりの人数が早生まれ(1〜3月生まれ)だったこと」で、その理由を、長じてから知ったわけだ。

たしかに担任も「変人」として有名な先生だったし、クラス総出でいろいろなことをやらかしていたから(音楽室を借りて班ごとのグループでバンドごっこをしたり、学校で猫を飼ったり…)、「あのクラスは変わってる」と学年でよく噂された。

クラスメイトには言動が面白い子、静かで個性的な子、精神的にすごく大人っぽい子、なにかの能力に長けていて目立つ子が多かったのだが、それが早生まれが理由なのかどうかはわからない。
「たまたま」ということもあり得る。

そのクラスメイトのひとりに、Aくんという男の子がいた。
背が低くて細身なのに運動能力が抜群で、「目立つ子」のひとりだった。
が、わたしが注目していたのは、一年生でいきなりサッカー部のエースになったその能力ではなく、顔。

色黒の小さくて丸い顔に大きな目のハッキリした顔立ちで、ともすればショートカットの女の子に見えるくらい。そして、まつげがものすごく長く、マッチ棒が3本は余裕で乗りそうだった。
「こんなに長いまつげの人っているの?」と、当時のわたしはとてもおどろいた。

当時の英語の授業は、学習テープを大きなスピーカーで流しながら進めることが多かったが、クラスにはそのためのカセットテープの再生機(録音はできないしラジオの機能もないから、ラジカセではない)がいつもあった。
他のクラスではどうだったか覚えていないが、とにかく、自分のクラスには窓際にひとつある机の上に、黒板消しのクリーナーと一緒に再生機があった。

そして、Aくんはいつも、昼休みになるとそのカセットテープの再生機を使って、YMOのアルバムを流していた。

1時間弱ほどある休み時間に毎日毎日ずっと流し続け、昼までの授業だった土曜ともなれば、放課後にひとしきり流していった。
まだ音源がそんなに出ている年代ではなかったから、とにかく同じアルバムを繰り返し、くりかえし。

それはまるで、読経のようだった。

Aくんが、どこでどうYMOの音源をカセットテープ(ごく普通のもので、音源として販売されているものではない)に録音して持ってきていたのか、どうやってYMOを知ってあれほどハマっていたのか、どちらも知らない。

でも、毎日のお昼に流れるYMOを聴きながら、いや、聴かされながらお弁当を食べていたクラスメイトはなぜか誰も咎めることがなく、やがて中には興味を持つ子も出てきて、Aくんの行動はちょっとした布教みたいになっていた。

そして、わたしもそのひとり。
毎日の「読経」による「門前の小僧」効果か、それまでの人生で聴いたこともない音、リズム、構成にいつしかハマっていた。

クラスメイトから「兄がYMOの新作を買った」と自慢されれば、その子の家に押しかけて聴かせてもらい、お兄さんを拝み倒してカセットテープに録音してもらった。

そのうち「お昼休みの読経」は、YMOに惹かれたクラスメイトたちが何人も集って再生機を取り囲み、好き勝手に身体を動かしながら聴いたり、スネークマンショーで爆笑したりするという、なにかの奇祭みたいになっていた。

わたしがYMOと出会ったきっかけは、ラジオでもTVでもなく、Aくんというクラスメイトだったのだ。

幸宏さんの訃報を知って物悲しい中、ふと、そのことを思い出した。

わたしは同窓会とかに出たことがないから、Aくんのその後は知らないが、今でもかれの顔は覚えている。もう会うこともないだろうけど、いいきっかけをもらったな、と思う。
音楽との出会いは、こんなふうに降ってくるものなのかもしれない。

幸宏さん、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
遺していただいた音を、まだまだ聴かせてもらいます。

いただいたサポートは、毎年の誕生日に企画している「いなわら亭用・調理器具」の購入に充てさせていただきます。お気持ちが向いたら、どうぞよろしくお願い申し上げます〜〜!