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僕らに肩書きは必要なのか

一時期、Twitterでは”肩書きブーム”のようなものが存在していた。

皆、何者かになろうと、オリジナリティある肩書きを自分でつけて、精一杯の声でその肩書きを叫び続けていたと思う。

2018年8月1日。
このタイミングで、僕は会社員を辞めて、フリーランスとして独立をした。同時に「コミュニティフリーランス」という肩書きを自分でつけて、活動を続けてきた。

コミュニティを仕事にするひと自体が珍しい中、それをフリーランスでやっているひとなんて当時周りには見当たらなかった。そんな状況なので、接する方々はスッと「コミュニティフリーランス」という横文字で認識してくれた。

この肩書きは、”コミュニティを生業とするフリーランス”という意味ではとてもシンプルに伝えられるものだったと思う。同業種の方々にも、そのシンプルさは好評だった。


その肩書きを名乗りはじめてから、あっという間に2年以上の時がたった。僕が今立っている状況は、当時と大きく変化し、コミュニティというキーワードが仕事から溢れはじめていた。

プライベートや暮らしの部分にも、大きく浸出してきていたのである。

地域コミュニティに興味を持ち、高円寺に住まいを移し、セカンドハウス”小杉湯となり”の会員として過ごしたり、高円寺アパートメントというコミュニティを大事にしているアパートメントで暮らしたりしている。家族もできた。

そんな変化が起きると、一時期かなりしっくりきていた「コミュニティフリーランス」という肩書きは、いつの間にか違和感を感じるようになっていた。それは同時に、「自分は何者なんだっけ?」という問いを突きつけられている気分だった。

それは周囲も感じていたことなのか、ここ数ヶ月で様々な方から「肩書き変えないんですか?」「会社つくらないんですか?」のようなことを言われてきた。「コミュニティコーディネーター」や「コミュニティエディター」など、めちゃ今どきな提案もいただいた(提案してくれた皆さん本当にありがとうございます)。


僕自身、セルフブランディング的な文脈には、基本肯定的である。それがダサいという声を上げるひともいるけど、僕はなりたい自分を目指し努力することはとても素晴らしんじゃないかと思っている。

矛盾しているかもしれないけど、最終的には肩書きを手放したいとも思っている。

今の社会、僕らは”機能”として関係性を持つことがほとんどである。「コミュニティをマネジメントしてくれるから繋がる」とか「この人と一緒にいたら、こういういいことがある」というような繋がり方だ。

繋がりをつくる手段としてはポジティブな側面はあるものの、切れるのもまた簡単。これだけを続けていると、寂しさや虚しさを感じるひとが増えるのではないかと思う。

だからこそ、僕は”機能的関係性”じゃない”存在的関係性”を築いていきたい。

存在的関係性というのは、存在レベルでお互いを尊重し築かれる関係性のこと。存在レベルの関係性を築くのは容易ではない。きっと、そこにたどり着くためには、多くの壁を超えていく必要があるんだろうなと想像できる。

その関係性を目指していくのならば、肩書きはネガティブに働くことが多いのではないだろうか。そんな問いが僕のなかに残る。


まだまだ肩書きをどうするかの答えは出ないけど、ここ数ヶ月自分なりに考えていきたい。これは直感でしかないのだけど、近々ひとつフェーズが変わりそうな気がしているので、自分の在り方を見つめ直すためにも、取り組みたいことのひとつ。

自分で自分をプロデュースしていくのも、かなり楽しく、個人的に好きなことなので、納得する答えを模索していきたいと思う。

そんなことを考える、フリーランスの日々。


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