文字を残さなかった人の文章が世界で一番残ることの不思議
なぜ、この三人を総じ尊称する表現は存在しないのでしょうか。
このように考えること自体が礼を欠くことなのかもしれませんね。
その三人とは、いったい誰か?
それは、ソクラテス、ゴータマ・シッダールタ、イエス・キリストです。
ソクラテス
「哲学」とは、ギリシア語の「フィロソフィア」に由来し、これは文字通り「知への愛」と訳されます。哲学者という人たちは、知識への絶え間ない探求、真実への深い探求を愛します。
ソクラテスが特別な賢者であるとされる表現の一つに、「プレソクラテス哲学者」という呼称があります。ソクラテスは紀元前 5 世紀に活躍しましたが、もちろん彼以前にも多くの哲学者がいました。
例えば、ギリシャ七賢人の一人であるタレスや、彼の名がそのまま付けられたことで有名な、直角三角形の辺の関係を示す「ピタゴラスの定理」でお馴染みピタゴラス、そんな偉大な哲学者らを指して、「プレソクラテス」つまり「ソクラテス以前の哲学者」として総称しているのです。すごい。
「ソクラテスが哲学を学問に押し上げた」と評されることもあるようですが、その理由は、彼が哲学の焦点を「自然界」から「人間自身」へと、その道徳・倫理的な問題に移した点にあるとされています。彼は人間を哲学の主要な対象とし、個人の自己認識と道徳性に焦点を当てたのです。
さて、そんなソクラテスは「どういうことを言ったのか?」というのは、多くの「文字」になって残っているわけですけれども、これはソクラテス自身が文字にしたわけではありません。彼のお弟子さんである「プラトン」という人が、「ソクラテスの話していたことが何にも残らないというのは、これはあまりにもモッタイナイッ!」ということで、さまざまな「本」という形で残しました。
プラトンが残した本というのは、プラトンの主張が書かれているのではなくて、全てソクラテスと周囲にいる人たち、多くはソクラテスの弟子なわけですけれども、そのソクラテスと弟子らとの対話という形で残されています。
実はこれ、「ソクラテスの意図としてどうだったのかな?」と言われており、というのも結構微妙なところがあるんですよね。そもそもプラトンが、「ソクラテスがこう言った」ということを対話の中で書いているのですけれども、これは「本当にソクラテスが言ったことなのか?」「プラトンが、かなり自分の考えというものをソクラテスという役柄に言わせているだけなんじゃないか?」という議論がなされています。
プラトンの対話篇は、初期、中期、後期という三つの段階に分けて考えることができます。初期の対話篇はソクラテスの死に直結する時期のもので、おそらくソクラテスの実際の言動に最も近いのでは?と考えられています。
一般的に専門家の間では「後期の作品になればなるほど、ソクラテスが言ったことというよりは、かなりプラトンが自分で考えたことというのをソクラテスに言わせている形になっている」と言われていますけれども、いずれにせよソクラテス自身は「文字」というものをあまり信じていませんでした。
そんなソクラテスとまさに同時代の全く別の場所「インド」では、ソクラテスのように「文字」をあまり信じていない、もう一人の賢者がいました。
ゴータマ・シッダールタ
「誰?」
「カータカ・カッターカナ?」
釈迦です。あのお釈迦様です。
ただし正確に言うと、「釈迦」とは彼の族名であり、インドの「釈迦族」出身であったことに由来している名です。また「仏陀」とは、サンスクリット語(古代インドから続くインドの公用語の一つ)で「目覚めた人」を意味する言葉であり、これは「悟りを開いた人」に与えられる「称号」です。
「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」や「釈迦如来(しゃかにょらい)」など、さまざまな呼び方がありますが、「君の名は?」と問われれば、それは上記した通り「ゴータマ・シッダールタ」というのが一般的な正解です。
そんなゴータマは一国の王子として生まれ、何不自由なく暮らしていました。彼の父である王は、「ゴータマには醜いものは見せてはならない」という命令を使用人らにしており、彼は四角く囲われた城内で、美しい物事だけを見て育てられていたそうです。
そんな彼が、「なぜ出家したのか?」ということについては、「四門出遊」という有名なエピソードがあります。簡単に解説すると、以下の通りです。
さて、そんなゴータマも文字を残さなかった人です。彼は、教えを伝える方法において、個々の弟子の理解度や、その時々の状況に応じて教えを調整したと言われています。これは「適法(てきほう)」または「方便(ほうべん)」と呼ばれ、教えを伝える際にはその受け手の能力や状況を考慮し、最も適した方法で教えを伝えるべきだという原則です。
例えば、あるとき彼は弟子たちに対して、水の比喩を使って教えを説明しました。彼は、同じ水でも、魚にとっては住処であり、人間にとっては飲み物であると説明しました。これは、同じ教えでも、異なる人々には異なる意味を持つことを示しています。つまり、教えは受け手の状況や能力に応じて変化し、それぞれに合った形で伝えられるべきだ、ということを教えます。
後述しますが、文字に残すということは「見る人全て」に同じように伝わるわけではない、音声でのコミュニケーションであれば、出来る限りその時の状況や、一人ひとりに合う適切なアドバイスが可能だ、と考えたのです。
そんなゴータマの教えはどのように伝わったか?それは口伝で伝わり続けるわけですが、まあ一人ひとりの解釈の全く異なること。解釈が違えば意見は違う、意見が違えば対立が起こる。ということでゴータマ後の仏教は、大人数向けの「大乗仏教」キリスト教的に言えば「カトリック」と、規律を重んずる少人数派の「小乗仏教」これもキリスト教的には「プロテスタント」に分かれてしまいました。
特に大乗仏教の場合、緩い雰囲気は人を集めたけれども、「仏陀」となった「釈迦」の教えを理解していないので意味がない。そんな「大乗派」は、ゴータマの死後数百年経った紀元後 2 世紀頃になって、ようやくナーガールジュナという人が「般若経」と呼ばれる 5-600 巻にもなると言われる「経典」という書物にまとめてくれたことにより、大成していくことになるのです。
ちなみに仏教の場合は「如是我聞」「私は仏陀からこのように聞いた」という風に言うと、その全部がお経にできちゃうっていう、乱暴に言うとそういうシステムになってるわけですね。ですからどこからどこまでが正式な経典なのかということは、仏教の場合はかなり曖昧になっている状況です。
完全にオープンコンテンツですね。こう考えると、例えば平安時代までに日本に伝わった仏教の八つの宗旨である「八宗」[1] や、鎌倉時代に伝わった「鎌倉新仏教」[2] など、どんどんと分派していくのも頷けます。
仏教がオープンコンテンツであるならば、その反対に「クローズドコンテンツ」もあるのではないか?もちろんその通りです。時を 400 年ほど進めてちょうど「西暦ゼロ年代頃」の中東に、ソクラテス、ゴータマと同様に、文字を残さなかったもう一人の賢者がいました。
イエス・キリスト
文字を残さなかった人の三人目、イエス・キリストという人がいます。 彼が「どういうことを言った」とか「どういうことをやった」というのは、新約聖書の中の福音書、「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」という四人のお弟子さんが書いた、四つの福音書の中に書かれているわけです。
これはソクラテスのケースと同じで、ソクラテスの場合はプラトンという弟子が一人で「本」を書いているわけですけども、「聖書」の場合、イエス・キリストの弟子、あるいはその孫弟子の人らが、いろいろな資料や当時残っていた断片的なものなどを集めて作っていたと言われていますね。
仏教とは異なり、聖書は完全に「クローズドコンテンツ」で、聖書の中にはもうこれ以上「文書」は増やせないんです。
過去の賢人たちがものすごく音声による伝達ということを重視した、というのは、考えてみれば文字に頼ってのコミュニケーションをすることが多いネットの世界では、この「文字コミュニケーション」というものがいろんな誤解を巻き起こしていますよね。毎日いたるところで「炎上」が起こっていることを考えると、いろいろと考えさせられます。
ということで、最後に「タイトル回収」をしたいと思うのですが、私が書くととんでもなく「大それ過ぎる」ので、最後はChatGPTに締めてもらいたいと思います。
【元ネタ】
(こっそり( ´ノω`)・・・自分で作っておいて「ナン」ですが、出来上がったサムネイル見て「やちゃってますな」と、思ってしまっ・・・)
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