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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #4】 ベイクド・ビーンズ(1/3)

ベイクド・ビーンズが象徴するもの

目玉焼き、ベーコン、ソーセージ、炒めたマッシュルームやトマトなどからなるいわゆるイングリッシュ・ブレックファーストには必ず添えてあるし、イギリスを旅してベッド&ブレックファーストや朝食付きの大学寮やユースホステルに泊まると、必ずそれはそこにある。白インゲンをトマトソース・ベースで甘しょっぱくオーヴンで煮込んだベイクド・ビーンズ。それをトーストした薄い食パンに乗せたビーンズ・オン・トースト。

「イギリスの飯は不味い」と判で押したように疑わず、またそういうことで自国の飯のほうが美味いのだという「優越感」に浸りたがる品性のない連中にとっての格好の食ネタが、このベイクド・ビーンズである。

『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』の「訳者あとがき」に、一時期イギリスで暮らしていた人に話すと、事情をよく知らない人から決まって「食べ物が美味しくないと言いますから大変だったでしょう」と言われるという逸話が紹介されているが、こういうやり取りが半ば冗談交じりに、半ばかなり真剣に交わされるのは、日本に限ったことではない。結構グローバルに、そうなのだ。

パニコス・パナイー『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』栢木清吾訳、創元社、2020年

イギリス料理は不味い。このほとんど病理学的にも聞こえる常套句を真に受けて、その「不味さ」の理由まで辿ろうとする人間まで出てくるから始末が悪い。レーニン論で有名な(?!)白井聡は近著『武器としての資本論』の中で、昔はイギリスにも美味しい食文化があったが、19世紀を通じて社会を根本的に変えてしまった産業革命によってそれは失われたと「推測」している。労働時間を中心としたライフサイクルが支配的になり、食は楽しむものでなくなり、味や嗜好はともかく腹がいっぱいになってまた労働できるなら何でもいいんだろ、という無味乾燥な状況を受け入れざるを得なくなったというのである。乱雑にまとめてしまったが、乱雑な議論は乱雑に扱われて然るべきである。

白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社、2020年

こうやって因果関係を説明したつもりになって「イギリス料理は不味い」などと平気で口にするような御仁には、自らが惰性的に慣れ親しんでいる味覚の範囲内でしか「美味しさ」を味わえない感性の欠如と、美味しいものの情報に触れられていない知性の退化を自らさらけ出してしまっているということにもっと自覚的になってもらいたい。

われらコモナーズ・キッチンは、何かが「美味い」とか「不味い」とか、そんなことを自明視しない。この世で一番美味いものを食わせろという将軍様の無理難題に対して、一休さんは将軍様に薪割り、風呂焚き、掃き掃除に雑巾がけをさせ、一杯の粥と沢庵漬を食べさせた。将軍様が「美味い美味い!」と言ってペロッと平らげてしまったのは言うまでもない。食べ物とは、そういうもののはずだ。食べ物の「味」を通じて資本主義を批判的に語るのであれば、そのシステムのなかで日々擦り潰されていく労働する身体が「味」なるものをどのように感得しているか、ということにもっと想像力を持て、ということでもある。

話をもとに戻そう。しかし、ベイクド・ビーンズが何らかの否定的なものの象徴として口の端に上ることはたしかに少なくはないし、そのあたりの事情はイギリス国内でもあまり変わらない。ただ、美味いとか不味いとか、そういう乱雑な話ではない。

たとえば、それは刑務所の粗末な食事の典型的な例として挙げられる。ジム・シェリダン監督の映画「父の祈りを」(1993年)に、爆弾テロを起こしたとして無実の罪で服役しているジェリー(ダニエル・デイ・ルイス)が食事を受け取るシーンがある。食事当番の服役囚が彼の持つステンレスの皿に無造作によそるのが、刻んだソーセージの入ったベイクド・ビーンズなのだ。

IRA(アイルランド共和軍)のシンパだという濡れ衣を着せられたジェリーの父ジュゼッペ(ピーター・ポスルスウェイト)もまた同じ刑務所に服役しているのだが、彼は獄中で体調を崩し死んでしまう。警察と軍による誤認逮捕を隠蔽したまま容疑者が何年も服役させられた「ギルフォード・フォー」と呼ばれる冤罪事件を元にしているこの映画は、イギリスによる北アイルランド統治問題の難しさと同時に、市民生活がいとも簡単に法の例外的行使によって破壊されるのかを物語る名作である。

『父の祈りを』(原題:In the Name of the Father)

父ジュゼッペが死に、エマ・トンプソン演じるピアース弁護士による世論への訴えが功を奏し、ジェリーは徐々に自分の無罪が認められるのではないかという確信を強めていくのだが、その変化の象徴的なシーンでまたもビーンズが登場する。

それまでは食事を受け取ったらコソコソと端っこの方で食べていたジェリーが、ビーンズの乗るトレイを両手で持ち、ゆっくりと、堂々と、刑務所の中の階段を降りて食堂にされている場所の真ん中の椅子に座るようになるのである。と考えると、刑務所の粗末な食事であるはずのビーンズが、猫背の痩せっぽちで自信なさげだった青年が父の死を乗り越え、自らの無罪を堂々と主張できるように成長していく過程に寄り添っている食べ物のようにも見えてくるから不思議だ。

(続く)


ベイクド・ビーンズのレシピ

4人分

材料

白いんげん豆         300g(乾燥150g)
ベーコン              4枚
ベイリーフ          3枚
ホールトマト(缶詰)     400g
野菜のスープストック     300cc
塩              小さじ1/2(3g)
きび砂糖           20g
マスタードパウダー      小さじ1(4g)
※白いんげん豆は大豆の缶詰で代用できます。

作り方

1.  白いんげん豆をたっぷりの水につけて一晩おき、豆がしっかり戻ったら取り出す。

2.  豆をたっぷりの水に入れ、アクをとりながら1時間ほど中火でふつふつ煮る。

3.  玉ねぎ、セロリなどの野菜でスープストックを作る。

4.  ベーコンを小さく刻みフライパンに入れ、弱火でカリッとするまで炒める。

5.  そのままフライパンにスープストックとベイリーフを入れて、弱火で10分。

6.  さらに豆とホールトマトを加えて30分ほど弱火で煮込み、塩、マスタードパウダーを加えて味をととのえる。

★トーストの上にたっぷりのベイクドビーンズをのせて食べるBeans on Toastが定番。またジャガイモにオリーブオイルを塗って、オーブンでまるごと焼いたジャケット・ポテトを添えるのもおいしい。

 *次回は1月20日に配信します。

The Comonner's Kitchen(コモナーズキッチン)


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