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この連載について

「何を食べているか言ってごらん。どちらの階級の人間なのか、当ててやろう」。

ブリア・サヴァランがイギリス人だったらこう言ったかもしれない。

どうやらイギリスという国の社会には、どんな料理を誰が作るのか、誰が好むのか、誰が嫌うのかという分断によって色付けされてきた歴史があるらしい。特に階級によって、財産を持つか持たないかの違いによって、身体と時間を貨幣に換算しなくても生きてゆかれるか、そうでもしないと喰うに困るか、の違いによって、作って食べる料理が大きく異る、らしい。

そういうイギリスの、そもそも「イギリス料理」って何なんだろうか? 上流階級だけの嗜み、たとえばアフタヌーンティーは「イギリス」を代表する食文化なんだろうか? もともとは労働者階級の「めし」だったフィシュ&チップスは、いまでは高級デパートの英国フェアで目玉商品として並んでいる。これは「階級上昇」なんだろうか? 

「プディングの味は食べてみなければわからない (the proof of the pudding is in the eating)」。

階級によって異なると言われる「めし」の味も、食べてみなければわからない。だったら実際作って食べてみたらいいじゃないか。作って食べて、その階級の違いとやらを舌で味わってみたらいいじゃないか。

そうして生まれたが、このキッチンである。

われわれ「コモナーズ・キッチン(the commoner's kitchen)」は、コモナーとしてコモナーとともに料理を作り、テーブルを囲み、食べ、飲む者たちのコレクティヴである。

「コモナー(commoner)」は、どうにも日本語に訳しにくい言葉だ。庶民、平民、民間人、市井の人々。どれもしっくり来ないので、われわれはわれわれをコモナーと呼ぶことにする。名は体を表す。コモン<共>を担い、分かち合う人間たち。

われわれはコモナー、社会階級に固まる前の、有象無象の集まりだ。だから「めし」のあいだを彷徨って、貪り、味わい、噛み砕き、舌の上で階級闘争を起こしてみよう。コモンを分断するその「違い」をまずは胃袋に収めてみたい。思い切り上手く作り、思い切り美味く食してみよう。

人々の「めし」から見えてくるその「違い」はイギリスに限ったことじゃない、日々、私たちの食卓に、この舌に、この身体にくりひろげられているのだから。

農民とパン屋と物書きが集まった。農民は畑で育てた芋や豆、ハーブを持ってくる。それらをパン屋が厨房で調理する。もちろんオーブンでパンも焼く。みんなで食事を共にして、物書きはコモンの言葉を拾い集めていく。分かち合いの言葉を。

どんな「イギリス」が焼き上げられていくのか。
とくとご賞味あれ。

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