「余命10年」を観て〜難病だった私〜
先々週くらいの、シグナル劇場版が地上波で放送されたのもあり、坂口健太郎をもっと拝みたくなって、今日母と一緒に「余命10年」を観てきた。
年末に「あな番」を映画館で観た時の予告から気になっていたのと、主題歌がRADWIMPSなのもあって気になっていたけど、結局決定打となったのは主演の顔だ。
言い訳ではなく前置きとして、主人公が死ぬタイプの病気の映像はあまり興味がない。どうしても御涙頂戴に見えてしまう。
繰り返すが、私が今回見に行ったのも、坂口健太郎の顔目当てだ。
来場記念のポストカードももらえて大満足だ。
と、まぁなんでこんなにひねくれているのかも含めて、暇だったらぜひ読んでみてほしい。
「お姉ちゃんと私、どっちが幸せなんだろうね」でふと自分のことを考えた
劇中、主人公の茉莉(小松菜奈)が、新たな治療が受けられる病院への転院を勧めた姉(黒木華)と言い合いになって放った言葉だ。
そこでふと思ったことがあった。
私は生まれて1歳になるかならないかで生死を彷徨った。移植を受けた。生き延びる確率は20%。8割の確率で死ぬ。
しっかりとした標準体型で生まれ、元気な見た目でありながら、見渡す限り手のひらで抱えられるほどの、小さな小さな赤ちゃんばかりのNICUにも入っていた。
らしい。
そんな、歳という単位で数えられない頃の記憶なんて全くない。気づいたら普通よりも元気すぎるくらいの生意気な子供時代を送り、ちょっと毎年季節外れのインフルエンザになってたくらいで、全くの健康体だった。
だから、「自分が大変だった」という事実は、病院の柵のついたベッドの写真ばかりのアルバムや、入院中はずっと帽子をかぶっていたからあだ名が「帽子ちゃん」だったこと、私に骨髄を分けてくれた人からマメに送られてくる年賀状…
それくらいの、ほぼ刷り込みと言える、代わりの記憶で認識している。
だから、思春期時代、生意気がすぎて永遠に反抗期だった私は、一度だけ「生きなかった方がよかったかもね」と親に言ったことがある。姉妹喧嘩の仲裁に母が入った時だったと思う。もちろん言いたくて言ったわけではない。
姉が確か悪かったはず。なのに、これもまた一度だけ、一度だけ母が「お姉ちゃんも昔我慢したんだから…」と言ってきたからだ。
私が1年以上入院していた時、3つ上の姉は母と離れ祖母の家で暮らし、そこから近い幼稚園に通っていた。寂しかったに違いない。けど、記憶も何もなかった私にそんなことを言われても何も響かない。ズルすぎないか。
不幸中の幸いか、それともそれが不謹慎か分からないが、劇中で茉莉が言った言葉で、物事を理解できる年にそんな大変なことにならなくてよかったと思った。多分同じように自分も死と隣り合わせになるのは怖いし、悲しむ家族と真っ向から向き合える自信が無い。
なんなら、何も記憶がなくてよかった、とまで、割と本気で思っている。
普通が普通じゃなかったことに気づいた
先ほどの、『代わりの記憶』のように、改めて考えてみると、自分にとって当たり前だと思っていたことはどうやら当たり前ではなかったんだと気づいた時の話。
20歳になった年、大学1回生の夏に帰省した時に、「今回(の帰省)は病院に行くよ」と言われ、『ん、またサンプル採血か???』なんてふざけたこと思いながら何十回と通い慣れた病院に行った。
なんかおかしい、『今日は何かあるんだ』と思ったのは、その場に不釣り合いな大人の見た目で、いつも通り小児科の待合室で待っていた時だった。
名前を呼ばれて、いつもの流れでとりあえず採血して身長を測るか?今日は久しぶりだし手のひらのレントゲンでも撮るか?なんて思ったのが全く違った。
主治医の先生が重々しい雰囲気の中、何枚か書類を取り出し、急に20年前の話をし始めた。
私のその時の病名、治療、そして今は完治していること、遺伝性では無いこと、など。突然すぎて頭が追いつかなかったが、とりあえず今もこれからも元気なことには変わりはないことは把握できた。
病名は『急性骨髄性白血病』。
追いつかなかった頭でも一発で聞き取れたのは、私が中学生の頃母の留守中に母子手帳を盗み見たからだ。
別に盗み見ると言わなくていいものかもしれないが、多分母はずっと母子手帳を隠したかったんだと思う。毎回の通院で押し入れから取り出し、帰宅するとしっかりと片付けるのをいつも見ていた。
なんで中学生の頃突然見ようと思ったのかはっきり覚えていないが、多分違和感を感じたことがあったんだと思う。
母子手帳の、生まれてからしばらく経ったページに小さな字で病名が書いてあった。
なるほど、と思った。
中学生なんてそこそこ理解力はあった気はするが、そんなに実感は湧かなかった。
ただ、広島出身、小さい頃から平和学習が当たり前の環境で育った私には「白血病」がどれだけ怖い病気かは簡単に理解できた。
私は生き延びれたんだ、とシンプルに思った。
20歳の夏に、そう主治医の先生に説明をしてもらい、もし今後何かが起きた時に病院に渡しなさいと手渡された、診断書かよく分からない、けど自分のことがしっかり書かれてある紙を受け取った時から、色々合点がいくことが増えた。
子供の頃から月一で病院に行っていたことも、その3回に一回は点滴を3〜4時間していたことも、成長してその点滴が部分麻酔&睡眠剤をして腰あたりに引くほどの太さの注射に変わったことも、目が覚めて毎回、目の前で心配そうに母が待っていてくれたことも、普通じゃなかったんだ。
高校時代に一度入院をした
大学で地元を出て、一人暮らしをして、大人になったからか分からないが、病気をすることが減った。食生活も実家にいた頃の方が確実にいいはずなのに、特に社会人一年目はほとんど体調を崩さなかった。そういえば去年もずっと元気だった。
実家を出たことで、無駄に親が私の体調を心配することも無くなった。基本過保護なので、もしかするとというか、おそらく私の知らないところで今もずっと気にかけていたのかもしれない。
それに加えて姉とも適度な距離を保つことでとても仲良くなった。喧嘩なんて滅多にしない。先日も休みだから買い物に行こうと言い出し、久しぶりだからカラオケに行きたいと、コロナもあって3年ぶりくらいのカラオケにも行った。
生まれてすぐの難病に比べるとしょぼいもんだが、実は高校生の頃も一週間入院したことがある。
高二の秋前、2週間ずっと微熱が続いた。学校に行ける程度の微熱だったが、ある日高熱になり学校を休んでいつもの病院に行った。
EVウイルス。
血小板が極端に少なくなる病気らしい。またいつものように血液検査の難しい数値が書かれた紙を見せられながら説明されたのを、ふんふんと聞いていたが、何かの数値が30倍か1/30になっているからすぐに入院することになった。そういえば最近、血が止まらなくなってた気がする。
「とりあえずすぐ入院!」
あ、これリアルに言われる世界線に私はいたのか、と思った。
人生(自覚がある)初めての入院。薬が効いてかほぼ平熱の状態でピンピンしながら入院した。小児病棟の個室。結構広かった。
母親は自分の仕事場へはもちろん、家族への連絡、高校への連絡、と大変だっただろうと思う。
入院の一週間、結局熱はほとんど平熱で超元気。3食きっちり病院食を出され、9時消灯という、人生で一番理想的な生活をした。後日談、体重が3キロ増えた。
急に一週間私が消えたのだから、高校の友達にもすごく心配された。私はいつもと変わらない感覚だったので、心配してくれた周りのその友達や、7日間疲れた顔をしていた母親には少し申し訳なかった。
元気なんですけどと言いつつ、いや、そう言ったのもあってか、主治医と変わるがわる入ってくる看護師さん達には「安静にね」と釘を刺されまくったのもあって、ずっと横になっていた。
自分の健康を願ってくれる人の存在
今回私は坂口健太郎くん目当てで足を運んだが、その、高校時代に入院したことを思い出しながら少し観ていた。
たまたま入院したのが、定期テスト週間だった。部活がなくて、授業もそんなに進まなくて、私は安心した。そしてもう一つ、その時付き合っていた恋人が授業が終わり次第毎日お見舞いにきてくれることが私は嬉しかった。
私は理系で彼は文系だった。聞くところめちゃくちゃ勉強ができ、勉強しなくても勉強ができるタイプで、サボるのがうまかった。そしてめちゃくちゃ私のことが好きだった。
学校からそこそこ遠く、自宅からは真反対なのに「暇だから」と毎日きてくれた。
いつも通り、何も変わらず接してくれていたが、退院した時にくれた書き慣れていない手紙には「すごい心配した」と書かれていた。いつもすんとしてなんでも簡単にこなし、「暇だから」と本心のように言っていた彼だったので、意外だったなと思った。
そして何より、めんどくさがりながら参考書を開き、病室の狭い机で渋々課題をこなす彼の姿を、『勉強するんじゃん』と横になりながら眺めるのが好きだった。
今日の映画がなくても、「私はこんなに毎日大切な人に時間を割けるだろうか」とこの頃を思い出して考えることがある。
自分ばかり色々病気にかかって、生憎人のことを心底心配するという経験がない。なんなら「どうにかなるでしょ」と思ってしまうまである。
なので、いつかは、そういう優しい人になりたいというか、なりたいと言ったら誰かの不幸を願ってしまうことになるが、そんな状況になったらまた色々と考えることが出てくるんだろうなぁと思う。
私自身、後半半分は永遠に涙を流しながらにしか見れなかった今回の「余命10年」。私が色々と物思いに耽って観ていた横で、母はズビズビ大泣きしながら観ていたが、何か考えることはあったんだろうか。
とりあえずエンドロールまで見終わっての感想は、親子共々「坂口健太郎が可愛かったしかっこよかった」だった。
親子だなぁ。
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