うしろのワイパー
ワイパーはいつでも、車のガラスからしずくを払ってくれる。
一定のリズムで淡々と自分の仕事をこなすワイパーは、毎日毎日会社に行って指示を受けて働く人間のようだな、と久しぶり雨が降った日に、その中をゆく車を眺めているときに思った。
幼いころ、日曜日になると蕎麦屋に出かけるのが我が家の定番だった。
蕎麦屋に向かう車では、前方には大人が、後方に子供が座った。
日曜日は特別朝の遅かった我が家では、15時まえに蕎麦屋に向かうのがたいていだった。
毎週通っていたから、もちろん雨の日も。
平日の雨はサッカーが出来なくなるからと憂鬱だったが、日曜日の雨は車に乗るからへっちゃらだった。
小学生という生き物のは車の中ではなかなか落ち着かない。
CD流してー、おなかすいたー、宿題やりたくないー、などと脈絡なく話す。
けれども雨の日は特別で、僕の両目は車の後ろの窓についたワイパーにくぎ付けだった。
僕には後ろのワイパーがいつ動くのか、さっぱりわからなかった。
前のワイパーは一度動き始めると、規則正しく動く。
それに、お父さんがスイッチを押すのが見えていたから、なるほどスイッチを入れるとワイパーは左右にぶうんぶうんと振れるのだな、と考えた。
ところが後ろのワイパーはそうではない。
体をひねって後ろを向いていないとワイパーがふれる瞬間を見ることが出来ない。
だからといって後ろを見ているとお父さんがスイッチを押しているのかがわからない。
そこで僕は、ずっと後ろの窓ガラスを見つめてワイパーがふれるのを待って、動いた瞬間に振り向けばお父さんがスイッチを押す瞬間を見れるかもと考えた。
さながら流れ星を待つ天体観測のようだった。
スイッチを押したらワイパーが振れるのだからどうやったって無理なのに、流れ星のように気まぐれで振れるワイパーを見ては後ろから前に向き直ってお父さんの手元を見ていた。
免許を取って自分の操作で後ろのワイパーを動かせるようになった。
だけどどういうわけか小学生の頃のあのワイパーはやっぱり勝手に動いていたんじゃないかと信じていたりもする。
雨のなか進むのはやっぱりちょっと億劫だけど、前のワイパーがあると視界が開けて進める。
車の中ではみんな前を向いて座っているから前のワイパーがとても目立つ。
進む方向にいるのだから当然だ。
みんなが事故を起こさないために一定のリズムを刻んでくれると安心する。
だけどやっぱり僕はなぜだか今でも、前でかっこよく振れているワイパーではなく後ろで地味に働くワイパーにひかれる。
もちろん今ならわかる、バックする時には後ろの窓ガラスに水滴がついていない方が便利だから、ワイパーが後ろにもついていると。
そしてこれもわかっている、小学生に気づかれないうちに後ろの窓のしずくを払ってしまう、役立つときは後ろに進むときだけなあのワイパーを動かしていたのはお父さんだったと。
家に帰ってもまだ降り続いている雨の音を聞きながら考えていたら、どうして自分が後ろのワイパーにひかれるのか、少しわかったような気がした。
後ろのワイパーはどうやらぼくにとってかっこいいらしい。
自分のことを見ているこどもを楽しませ、普段は自分のことを見向きもしない大人たちのためにもしっかりと役に立っている姿は魅力的だ。
後ろのワイパーは素敵なのだ。
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