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新しいハムスターを家族に迎えたことと、恋人と別れた寂しさは他の異性で埋めようと思ってしまうこと。

10月9日の火曜日に、飼っていたハムスターが亡くなり、家族みんながなんとなく心にぽっかりと穴が開くような喪失感に包まれていた。

寂しい気持ちに包まれる中、娘がこんなことを言い出した。

「はやく新しいハムスター飼いたい」

他の家族からは、まだあずきちゃんがなくなったばかりでしょう?そんな不謹慎でかわいそうなこというんじゃありません、と諭されていた。だけど、僕を含めて誰もが同じように感じていたに違いないと思う。僕自身、早く次のハムスターを迎え入れたいと望んでいた…

それは決して亡くなったら、ハイ!次! というようなものではなく、本当に悲しくて寂しい気持ちを何とかして早く埋めてしまいたい、と思うからだ。娘の気持ち自体は、大人だって感じることだし、それを口に出して言っていいかよくないことなのかの判断が出来てないだけなのかも知れない。

思い返せば、出戻り彼女と離れていた間は、必死でネトナンをして女性と連絡やアポやセックスをしていた。それは彼女と離れた寂しさを埋めるためだったことは自分でも認める。俺だってその気になれば女とのセックスなんて困らないぞという、小指の先ほどの自信はついたかもしれないけど、結局は寂しさを埋めるために違う女を求めたということになる。

安易に代替を求める気持ち。それが不純なことかといえばそうともいえないと思う。抗いようのない、生き物として内在する気持ちであり、このような感情だって生きる上で必要だからこそ、湧き出てくるものなのかもしれない。


・・・あれから4日しか経たない13日の土曜日、新たなハムスターの子供を家族として迎え入れた。

その数日間の間、僕は僕なりに、子供は子供なりにあずきちゃんの弔いを行った。みんな一様に愛しいけど悲しいような気持ちを共有し、家族の絆が生まれた。これはあずきが残してくれた素敵な贈り物なのかもしれない。

新しい子はキンクマハムスターの黒。前の子”があずき(小豆)”だったので、豆つながりで”くろまめ(黒豆)”ちゃんにした。でも呼ぶときは”くろすけ”と、なぜか呼んでいる。

恋人と違って、もう戻ってくることはないあずきへの弔いの気持ちと、新しい家族となったくろまめへの愛しい気持ちとが交差してなんとなくくすぐったい気持ちにまだなってしまうけど、少しづつまた明るい心持になれるといいな。



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