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先生って、女の子?

こんにちは、かしぱんです。

今日は授業が1限だけだったので、少し遠出をして、画面が割れたiPhoneの修理を済ませてから、映画を観に行きました。

少し疲れたけど、リフレッシュできた!

たまには贅沢もいいですね^^


先週末、とある小学校に実習に行ってきました。

そこでの気づきを今日は書きたいと思います。

「先生って、女の子?」

小学校1年生の子に言われました。
途端に目の前が白く暗くなって、うまく答えることができませんでした。ごまかすことしかできなかった。

noteの世界での一人称は「自分」。
現実世界でのこの呼び方が多い気がしています。

文面や言葉選びでなんとなく気づくかもしれませんが、自分は生物学的には女です。
でも、なんとなく自分を女として認めることに違和感を感じています。


短髪だし、服装もメンズライク。

イケメンの俳優さんより、可愛い女優さんが好き。

歳が近い男性に恋愛感情を抱いたことはありません。周りの人が恋バナで盛り上がる意味があまりわからなかった。異性で好きになるのは、一回り以上歳の離れた人だけ。

なんとなく他の人とは感性が違うな、とは思っていました。

でも、そこまで気にしていなかったのも事実です。

そのはずなのに、いざ突きつけられると困惑してしまいました。数日経たないと、うまく言葉にすることができなかった。やっぱり気にしてるんですね^^;

決してその子にも悪気があったわけではないと思うんです。男にも女にも見えなかった自分に、純粋に疑問を抱いただけというのはわかっています。

でも、同時に思うんです。

もし自分が、その子が思っていた性別と逆を答えた場合その子はなんて言うんだろうって。

その子が自分の性別を知ったところで、なんの意味があるんだろうって。

性別ってそんなに大事なんでしょうか。

自分が男であっても女であっても、自分であることに変わりはないのに、生物学的な括りで見たら、自分がなになのかわからなくなります。

存在しているのかすら疑ってしまいます。

デカルトさんなら、こんなときに「われ思う、ゆえにわれあり」とでも言うんでしょうか(笑)
でも今は、この言葉にすごく救われているのも事実です。

性別より大事なものもあるってことは、なかなかわかってもらえないのかもしれないなと思いました。

これが今回の学びです。

でも、なんだかんだ一番性別にとらわれてるのは自分なんだろうなとも思います。

難しいですね(笑)


では、今日はこれくらいということで。
今から家に帰ります。

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