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思い出を食べて、生きている

それは、まがいものでもいいんだわ。
ドロップを食べたつもりになれるなら、それが おはじきでも ええねん。
そうやって 芝居をみて、映画をみて、本を読んで・・・
勿論 インターネットにも、のめり込んで。
虚構を『世界だ』と思って生活してきたんだから。

観劇日記と、彼氏と依存症の話。


6月5日

ミサイルの阿弖流爲Zを観た。初日の一発目も見たので、2回目。
ミサワくんが演じる蝦夷の女やカンムゥの言い回しのクセ、
弱くなっていないかい? とか。アクロオーちゃん、大丈夫?
疲れてきてない? とか。ほんのすこし心配もしたけど。

舞台の上は終始、エネルギーのかたまりだった。
緩急も ちゃんとある。でも・・・なんだ、こう、常に「表現」で
ぶん殴られ続ける感覚というか。

頭の上で、冷たいバケツの水をひっくり返されたかと思えば、
熱い蒸気に満ちたサウナ室にぶち込まれたり。
桟橋から静かに海を眺めていたら、パッと背中をおされて
突き落とされたり。
深くない川の中で はしゃいで、キャッキャウフフって水を
かけあっているのを 見せつけられるとか。。。
(それでたまに、水のしぶきがこっちにも飛んでくるとか)

ずーっと、そんな感じ。絶え間なく。
大好き。ありがとう。

それから・・・その公演のカーテンコールの時に、
小濱さんが言った言葉を聞けて「よかった」と思った。

「人生の大きな節目を、みなさんと同じ(劇場)空間で
 過ごせてうれしい」みたいなことを、言ってたんかな。

『人生』というのは・・・
もちろん劇団として、のことだろう。
でも その劇団の人生の節目は、そこにいる劇団員
それぞれの節目にもなるわけで。

小濱さんの言葉は そのまま、
「これからも……また節目ごとに、みなさんと劇場で会えたら 何より」
と続いた。

それまで、劇中では泣きそうになんかならなかったのに。
カーテンコールで泣いた。

僕は ミサイルが劇団として生きている限り、
会いに行きたい。
会いに行くし、「会いに来てくれてうれしい」と思われたい。

劇場を出た時は、この世に演劇があれば 生きていけるような気がした。
僕は これからも生活の、「心」の糧として
演劇と関わりながら生きていくんだろう・・・と思った。

(観劇日記おわり。)


6月5日

ミサイルの舞台を観にいく前に、彼氏と電話で話し合いをしていた。

僕からしたら、その電話の時間的な【長さ】うんぬんはどうでもよくて。
それよりも この先の見通しだや、話の落としどころが見えない状態が不安。
何なら、「それ」は すごく短くても構わないから・・・
「質のある言葉」を得られない方が問題だった。
僕が、推しの前説をみる為に 最前列センターを確保してたなんて。。。
そんなのどうでもよくなる 大ピンチである
(もう 終演までに間に合って、チケット代が払えればいいかな。。。
いや、それもかなわないなら……グッズを買うなりなんなり
その分、たくさん応援させてもらおう。。。)というような覚悟をした。

一方、彼氏は・・・
「休日の午前中に【3時間も】彼女と言い合いになる」
ということに疲れていた。
(全然それだけの問題じゃない)

いくら彼女を好きだと思っていても
そりゃ・・・ごはんを食べずに何日も過ごしたり、
昼も夜も眠らずに暮らしたりしていたら・・・
ふつうの人は、生きていかれない。

この表現はあくまで「例え」で。
彼氏も僕も、実際には だいたい毎日何かを食べて
寝て、起きていたのだけれども。
ふつうには生きていかれない(※心がぶっ壊れてる)状態の
僕を甘やかしつづけるっていうのは……
それはそれは彼氏にとって難しい生活だったろう。
ごめんね。。たくさん甘やかしてくれて、ありがとう。

もちろん僕は、彼氏がごはんを食べないのも
夜に眠らないのもいやなので
どうか 健やかに、そうしていてもらいたい。
たとえ僕が 一人ではごはんを食べることができなくて
あまり眠らないタイプの生き物だとしても。


宮川賢の戯曲に、『眠る夢、見る夜』というのがある。
僕 それ大好きなんだよな・・・。


(▼ここから依存症の話。)

僕の彼氏はやさしいので
何か 彼に迷惑をかけて、それを僕が謝っても
「(彼氏彼女なのだから)ごめんとか言うなよ」とか。
いっぱい連絡くれて、ありがとう と言っても
「ありがとうって言われることじゃない」という風に・・・
僕の{病的な部分}を、許すような発言をしていた。
今思うと・・・それは ほんと、よくない。

僕は、他人とのコミュニケーションに依存している。
人とのコミュニケーションは 誰かが描いた文章を読むことや
過去の思い出からも、間接的に得ることができる。

(いつも言うけど・・・子どもの頃 家族とのコミュニケーションが
じゅうぶんにあって、うまく出来ている/日常にある人は
コミュニケーションに飢えて苦しむ感覚を知らずにいるんだろう。
仮に『飢える』感覚だけなら 一時的に体験して、知ってるつもりでも
まさか・・・それに毎日 苦しめられるなんて。わからないだろう)

間接的に得るだけでは、ちょっとしか満たされないし。
直接の、言葉のやりとりや 感情のやりとりの方が、より刺激が強いのだ。
これがもし……身体的なコミュニケーションにばかり反応するよう
特化していたら、セックス依存症になってたかもしれないし。
お金を使うことで満たされるような『飢え』なら、
ショッピングの女王・・・買い物中毒になっていたかもしれないし。

ギャンブルでも、薬物でも、宗教でも……何だっていいけどさ。。
それが飢えを満たしてくれるなら、とっくにハマっている。
お酒でも、タバコでもまぎらわせないから・・・
そういうのに依存していないだけ

彼氏と、重たい言い合いになってしまった原因のうちの、
ある一つやりとりで。。。

「あなたからの返信がなくて、寂しくなっちゃって
 (気を紛らわすのに)・・・ドライブに出かけちゃった。。」

あまり一人で、夜 出歩くなと言われているのだから……
当然 心配されるわけだけれども。

「何だよ、俺のせいかよw」

そう言われた瞬間・・・悲しくなってしまった。

なんというか。今日になってわかったんだけれども・・・
これまでの僕の、
「(長電話させて)ごめんなさい」とか
「(いっぱい連絡くれて)ありがとう」って
依存対象として、消費して『ごめんなさい』だったし。
依存物を提供してくれて、『ありがとう』だったんだ・・・

【ちょっと余談】
なんかさ。誰かに依存してる・・・っていうと、ロマンチックなイメージがあるのかもしれないけれどさ。実際「俺に依存しちゃえばいいのに」って、言う男性もいるけれども。それ、責任取る気がないんだったら……最後まで付き合う気がないんならさ ほんとうに言っちゃいけないよ。下手に治そうとしないで、うまく距離とって付き合いなね。。。(おい、そこの。。メンヘラ好き・病んデレ好きを自称していながら、結局 僕から逃げてった人たち。。。聞いているか?)
まぁじで、依存は病気なんだわ。全然 ロマンチックじゃない。(だからか? 何かイメージと違う、ってなったんか?) 根本的な解決ができないうちは、対処療法をするしかないんだよ。俺も、よくわかってんの
でも ほんとに 当事者にしか、わからないのだよね。。。

お酒に例えると・・・
お酒が大好きで、もはや病的に依存している僕に対して
『好きなだけ飲んでもいいよ』
『ほら、飲みなよ』ってどんどん提供してくれて・・・
なんなら『俺のお酒だったら、いつでも勝手に飲んで良いからね』って
そういう風に言われた、と思ったんだろうな。
僕は、僕の依存症が 良くないことだってわかっているから
お酒を口にするたびに ありがとうとか、ごめんなさいとか言っちゃって。。
でも、「いちいち謝るなよ」とか
「そんなことでお礼を言わないで」なんて言われてるうちに・・・
僕もうれしくなっちゃって。
当然のように、どんどん飲んじゃって。。
それで もはや自分から、お酒を注いで飲むようになった時に……
その姿を見て急に「うわ、まだ飲むの?w」って、
馬鹿にされたっていうか。笑われたような気持ちになったんだ。うん。

僕は飢えてるから、あまり実感したことがないけれども・・・
ふつう、ずーーっと誰かとコミュニケーションしてたら 疲れるんだな。
僕が飲み続けていたら お酒のビンは空になるし。
空っぽにされたら、つらいよね
わかる

「もう お前に、俺の酒は飲ませねぇ」って
もしも嫌われちゃうくらいなら……
僕は断酒をするし。
注がれた酒しか、飲まないから。

瓶が空っぽにならないように
僕も気をつける。
気をつけるけれども・・・
「もう少ししか、(お酒)残ってないよ」
「ちょっと待ってね」って言ってくれよ。。。

もう少し建設的で、実用的な解決策を考えるとするなら
その酒瓶の中に どんな味の酒が入っているか
飲めば美味しいって「わかってる」状態になれば。。
常に飲み続けなくたって、我慢できる。

時々 美味しいお酒を飲ませてくれるんなら、それでいいもん。
そのお酒を飲めるのが、もし 自分だけだって……
自分にしか許可されていないって わかっていたら
慌てて飲む必要ないもん。。
もしも、一瓶しかないっていうなら
無くならないように気をつける・・・。

うん。


誰かに言われた言葉を頼りに、それを心の支えにして
思い出を食べながら生きている・・・。

僕がいま食べているのは、そのうち味がなくなるガムなのか
なかなか嚙み切れないスルメなのか。

綿あめは、甘いばっかりで すぐに消えるから。。
もしもドロップの味がするのなら
食べても無くならない おはじきの方がいい

おいしいものを食べたいと思います。あとは、本を買います。