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「自分が幸せといえるのか」は人生の最大のテーマだ

【自分の人生、自分で課題を決める】

「自分がどうしたら幸せになれるのか」を考えたのは16歳のときだった。

わたしが高校生のとき
父が取引先の保証人をしていたため自分の会社をつぶすことになる。
家をうしない、父は蒸発し、残ったのは大きな借金だった。

親のお金で遊んでいる同世代の友達を横目にみながら
わたしには”働く”という選択肢しかない。

ただどうせ働くならば
「親のせいで仕方なく」とか、「親のせいでやりたくない仕事をやっている」となるのだけは避けたかった。

「せいにしないこと」を見つけないとわたしは不幸になると思ったからだ。

その時の自分の課題は
「やりたいことを見つける!そしたらわたしは幸せといえる。親とか環境のせいにせず済む」と。

だから
自分のやりたい仕事、やりがいのある仕事……で、しかもちゃんと稼げる仕事。自分がそれをやって喜びが得られそうなことを必死で探した。

めでたくやりたいこと見つかり、正社員として仕事に就けたことでわたしは親や自分の人生を呪わずにすんだのだ。

だが、社会では理不尽なこととの闘いでもある。

当時はブラック企業はめずらしくなかった。
残業は月に軽く100時間超え。
しかも一生懸命仕事をこなしても女性はなかなか認めてもらえない。

やっかんで人のあしをひっぱる男性社員。
無理な注文をつけたりクレームばかりいう取引先を先輩から押し付けられたり……。
上司からのセクハラやパワハラも最悪だった。

それでも
会社のせい、上司のせいで腐りたくはなかった。

上司は選べない、上司は変えられない。
管理職が変わるまであと10年、20年かかるなら待ってなどいられない。

変えられるのは自分だけ。変わるのは自分。

そう、次の自分の課題は「組織に頼らず自分で稼ぐこと」だ。

自腹で勉強してフリーランスになる!

そこで考えたのはフリーランスで仕事をして「どうしたら自分が幸せといえるのか」だった。

そうだ。好きなことを仕事にしたい。昔、あこがれていた物を書く仕事。

「文章を通じて人に元気や勇気を与えたい」これがわたしのテーマとなった。

その夢を叶えるため、さまざまなことに挑戦した。
出版業界や編集さんにコネも人脈もないわたしはさんざん回り道をし
泥水もたらふくのんできた(ビールもだけどww)

自分の好きを仕事にするといっても
プロライター・コラムニストとしてデビューしたものの
最初からそんなに原稿料は高くない。

だから次の自分への課題は
「好きなことで仕事を続けていくにはどうしたらいいか」だった。

そこでわたしは他のライターさんとの差別化を図る。

マーケティングとセルフブランディングは成功し
連載コラムを書いたり、Yahoo!ニュースやライブドアニュースに記事が掲載され取材依頼もくるようになり、10年以上真摯に書き続けてきた。

コロナ禍になった三年前、これから時代は大きく変わると感じ、
次のステージにいこうと思った。

その課題は
「これまでの経験をどうしたら生かせるか
自分のしてきたことで誰かの役に立てないだろうか」
だった。

ライターとしてコラムニストとしてのライティングのノウハウ、
男女関係・夫婦関係を書き続けてきた恋愛専門家としての知識、
フリーランスとしてやってきたセルフブランディング……
自分かやってきたそんな経験が誰かの役に立てないかと。

そこでSNSでまじめに発信するようになった。

自分がやってきたこと
自分だから言えること
自分にしか語れないこと
神崎桃子だから熱量をもって話せること。

いま、SNSでは音声としてスタンドエフエム・Twitter X のスペースで話しているし、リアルでセミナー講師としても話ている。

人の役にたてると
たくさんの「ありがとう」の言葉がくる。

人を喜ばすことができると
素敵なご縁に恵まれる。

人に与えることができると
たくさんの笑顔に出会える。

ほんと最高だ。

誰かの役に立てることこそ、自分の幸せにはかかせないことだと
いま、かみしめている。

幸せになるためには
人生のあらゆるシーンで
そのとき、そのときで
自分の人生の課題を見つけることだ。

つらいことがあったとき、逆境があったとき
それを乗り越えるにはどうしたらいいのか
自分への課題を出す。

それが「自分の人生をちゃんと生きること」なんだと思う。

自分がどうしたら幸せか、
何をしたら幸せかは自分でみつける。

あなたはいま、幸せですか?




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