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自己価値の低さは街をも衰退させる

どうしても書き記したくなりました。
いつもと違うテイストです。


奈良県にあるイオン西大和というショッピングセンターが今月末で閉店します。

私はこのショッピングセンターがある西大和ニュータウンで小学生から高校生の間、暮らしていました。

最寄りのJRの駅からバスで15分。
そのバスも1時間に3本。

決して便利ではないけれど
美しく整備された街並み、
そこそこの品は揃う環境。
でも、自転車で10分も走れば「空き地」が広がって、昭和な子ども生活を堪能できる田舎。

子育てには理想の環境でしょう。


父の転勤と私の進学が重なったため、
その地を離れてから30年が経ちますが

子ども時代や思春期の甘酸っぱい思い出がたくさん詰まった私の故郷です。

私はベビーブーマーなので、
めちゃくちゃ子どもの数が多くて
私が小学生の時に小学校が増えました。

その小学校も、昨年末に廃校となりました。

今、「西大和ニュータウン」とググると
「高齢化」というワードがくっついてきます。

そう、典型的な「衰退ニュータウン」です。

今、当時を振り返ると、けっこう富裕層が住んでいました。
というか、富裕層地区があった。

景気も良かったですから
町の財政も潤っていました。

近隣の町村合併は何度も議題に上がっていましたが
その度にそれぞれの町村の利害が一致せず流れていました。

しかし、バブルは崩壊し、
時を同じくして、
子どもたちは皆、町を出ていきました。

国民が貧乏になるようにデザインされた平成の経済政策により、
デフレは進行し、本当にみんな貧乏になっていきました。

でも、物価が下がっているので、自分が貧乏になっていることには気付かない。

そのまま定年退職し、
「ちょっと景気が悪くなったなぁ」と思うかもしれないけれど

30年前で時が止まったまま。

大阪市内まで最低でも1時間はかかる街に
納税する若者の新規流入はなく、

税金をたくさん使う高齢者が残る一方。

当然、財政は逼迫。

気づけば、ニュータウンを開発管理していた企業は撤退し、管理がバラ売りされていた。

「街並みの美しい住宅街」なので
特に産業もなく、企業誘致もしなかった。

そしてついに、街の人々の生活を支えてきたショッピングセンターが撤退。

在住の高齢者さんたちは
どこに買い物に行くのでしょう?

もちろん、他にも商店はありますが
最大手が無くなるという痛手は計り知れないほど大きい。


日本各地でこのような
過疎化したニュータウンの話はよく耳にします。


でも、存続している地区もある。


その差は何なのか?


もちろん、そのニュータウンの開発管理をしている企業の力量もあります。
いや、それが一番でしょう。


でも、今回、この閉店のニュースを聞いて改めて考えてみて

私が感じたのは

「住人の自分の街への評価の低さ」

です。

謙虚さは美徳である。

確かにその通りです。

でもね、

「あなたの住んでいるところはどんなところですか?」

と聞かれて

みんながみんな口を揃えて

「なーんにも無いところよ〜」

と言うのはどうなんでしょう?

たまに
「映画館もある大きなショッピングセンターがあります」
と言ってくれる人がいますが

後で、別の人が

「あの人、映画館もあるショッピングセンターがあります!なんて自慢してるのよ。あんなショボいとこなのに」

と嘲笑しているのが聞こえてきます。

これは、謙遜ではない。
自己価値が低いだけです。


そりゃ、私だって
「ホンマ、何にもない街やなぁ」って思いますよ。
いつも電車とバスの時間を気にしてなきゃいけないし。

でもね、
あんなに街並みが綺麗で
四季を楽しめる大きな公園がたくさんあって
近所の人はそこそこ顔見知りで
たまにめんどくさい人もいるけど
そんなのどこにでもあることで
大抵の人は上質な常識人で

美しく落ち着いて
優雅に穏やかに暮らせる住宅街は
自慢の街だと思うのです。


なんで、それを住人が意識しないのか。
なんで、大したことないって言っちゃうのか。

これは、自慢して良いことです。

お国自慢なんですもの。

しかも、そこの住人の皆さんが創り出しているものなんです。


皆さんの一人一人の日常の丁寧さの結果なんです。

なんで、それを誇りに思わないの?


その自己価値の低さが
街を衰退させていったのです。


自己価値の低さは
自分だけの問題ではありません。


こんなにも周囲に影響するのです。


改めて
「自分を大切にする」
ということの意味を、価値を痛感しています。


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