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「在る」と「無い」の境界線

まだ、「美術」とか「アート」といった言葉を知らなかった頃。

クレヨンだったか、色鉛筆だったかを手に持って、ふと考えた。

「みんな、黒い線で描いているけど。黒い線、ある?」
しばし、あれこれガン見。
「影になってる部分が黒い線になっているところはあるけど」
「よーく、見たらあるのかな?」

「輪郭」を「線」で描くことへの違和感。
持ったことありませんでしたか?
そもそも境界線って何?って疑問。

「宇宙は無限で果ては無い」と聞いたときも、訳が分からなくて(笑)

「ここまでが宇宙」なら「その外は?」
と、その「外」を意識した途端、そこも宇宙になってしまう。
意識を向ければ、確かに無限に宇宙は拡張していくので、
なんか、気持ちの具合がよくない。

ここが宇宙の果てですよ、というモニュメントでもあれば、
すっきりするのに!
「在る」と「無い」の境界線が気になりすぎて
数日間、頭を悩ませていたのをおぼえています。
(日常生活は普通に過ごしていましたw)

どんなに目を凝らしても、見通せるものには限りがあるのに、
目を閉じて、宇宙の果てをイメージ(空想)すると、
イメージすればするほど、意識が宇宙を創り出していく。

・・・ということは、
目に見えている現実は有限だけれど、
空想できること、想像できることは、無限。
有限は無限に包まれていて、
無限の部分も宇宙だと、なんでだか思ったのでした。
(だから宇宙は無限)

子供の勝手な空想ですが、
まぁそれで、「宇宙の果てって???」って悩むのは止んで、
また別のことに興味が移ったのでした(笑)

宇宙において、「現実」または「物質」は、10%にも満たない。
人間が知覚できることは本当に僅かなんだ。
と、学校の勉強とは別に、あくまで私的に納得したこと(空想)
なので、人に話したことはなく、
今日はなんとなく、noteに書き留めました。

誰にでも、人には話さなないけれど、
自分にとっては、自然な、ささやかな悟りって
あるのではないかと思います。

写真には映らない、線で描かれているものに
違和感や嫌悪感を持たないような生き物なのだから、
信じていたものが、実は信じていたようなものではなかったからといって
さほど、ショックを受けたり、
自分を責めたりすることはないのではないかとも思う
今日この頃です。

改めて、ありのままを見てみよう。
絵を描くってそういうセラピーでもあると思っています。


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