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2015年1月の記事一覧
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その8
近畿地方で最初の県民歌を制定した兵庫県知事・岸田幸雄は自身の手で罷免した前副知事・吉川覚との確執に決着を付けるべく、出直し知事選に打って出る。ところが、その勝者は岸田でも吉川でもなく左右両派社会党が推薦した革新系候補の前尼崎市長・阪本勝であった。そして、岸田が制定した『兵庫県民歌』はその歌詞通り「長夜の眠り」に就いてしまう。
■国体と県民歌
兵庫県を含めて全国44都道府県が制定している都道
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その7
占領期の日本で唯一の戒厳令が敷かれる事態となった阪神教育事件を乗り切った岸田は1951年(昭和26年)の知事選で辛くも再選し3期目の県政を担うことになるが、その身には2期目をさらに上回る苦難が待ち受けていた。
■お家騒動、失脚──そして県民歌は消えた
民選初代知事となった岸田県政では官選第36代福井県知事(但し、現地へは赴かず5日間のみ在職)の吉川覚(1906-1978)が総務部長として招
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その6
かくして1947年(昭和22年)に民選初代知事・岸田幸雄の手で『兵庫県民歌』は制定された。しかし、岸田県政はその翌年に発生した事件のため重大な危機を迎える。
■阪神教育事件
1948年(昭和23年)4月に発生した阪神教育事件は後世の評価が両極端に分かれており、中立的に語ることが非常に難しい事件である。行政の側からは1945年(昭和20年)から翌46年にかけて発生した生田警察署連続襲撃事件か
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その5
歴史から不自然な形で抹消された『兵庫県民歌』を制定した官選第32代/民選初代兵庫県知事・岸田幸雄(1893-1987)はどのような人物だったのか。その足跡を追って行くと、何故『兵庫県民歌』が歴史から抹消されたのかの理由がおぼろげながら浮かんで来る。
■官選第32代/民選初代兵庫県知事・岸田幸雄 岸田 幸雄(きしだ さちお)は1893年(明治26年)2月24日、山口県士族・岸田氏美の三男として京
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その4
かくして1947年(昭和22年)、近畿地方で最初の県民歌として『兵庫県民歌』は制定された。しかし、その存在は制定主体である県からも半世紀近くにわたって否定されるほど徹底的に歴史から抹消され、芦屋に遺された富田資料がわずかに存在を物語るのみの状態となっている。
■34編の最終候補作 富田資料には入選作となった野口猛の応募作はもとより、佳作10編を含む最終候補作34編のガリ版刷りが含まれている。応
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その3
岸田幸雄兵庫県知事が制定を提唱した『兵庫県民歌』の歌詞募集には全国から720編の応募があり、知事自らが委員長を務める審査委員会が最終候補作34編を審査した結果、入選作が決定し1947年(昭和22年)2月19日付の新聞各紙で発表された。
■わきたつ喜び 2月19日付の神戸新聞2面は『兵庫県民歌』の歌詞が決定したことについて、次のように大きく報じている。
※原文は旧字・旧仮名遣い。また、歌詞単体
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その2
官選第32代兵庫県知事・岸田幸雄は就任早々の1946年(昭和21年)に『兵庫県民歌』の制定を提唱し、歌詞の一般募集を開始した。芦屋市立美術博物館には審査委員を務めた詩人の富田砕花(1890-1984)旧蔵の資料群が保管されており、その中には以下の募集要項が含まれている。
※以下、富田旧蔵の資料群を適宜「富田資料」と略す。
■『兵庫県民歌』の募集要項 兵庫県民歌募集要項
幻の『兵庫県民歌』追跡記録・その1
2015年(平成27年)1月1日付の神戸新聞30面に次のような記事が掲載された。
布く新憲法 ゆくては明かるし…幻の兵庫県民歌(神戸新聞/2015.1.1)
実は昨年の秋にこの件で電話取材を受けており(ただし筆者の名前は記事中には無い)、その際に先方へ筆者の側でこれまで調査して知り得た限りのことを説明した成果がこの記事である。とは言え、紙面の制約もあり説明した内容の全ては反映されていない