巾木に見る「神は細部に宿る」
ひねくれ者の私は、ずっと疑問に思ってきた。爪や髪など、体の末端がきれいな人がほんとうの美人だとか、物事は細部にまで魂をこめて仕上げてこそ素晴らしいものとなるとか、その手の話を。
いまいち因果関係がつかめなかった。「細部の美しさが全体美をつくる」。なぜ?
爪や髪に意識を行き届かせる人は、美しい人というよりは「ある程度、時間に余裕がある人」を意味している気がしたのだ。多忙で爪にまで手をかけられない人であっても、美しい人は美しい。いや、時間的ゆとりを生み出せる精神が美しいという話なのだろうか。
ディティールに難はあっても骨太な作品なら、それもまた素晴らしいと思うし、いまいち「神は細部に宿る」と信じきれずにいた。その言葉の正確な起源がどこなのかもよく知らない。
このあいだ、廊下の掃除をしていて、巾木についた埃が気になった。
巾木とは、床と壁の境目に取りつけられた部材のこと。
恥を忍んでお見せすると、巾木の上にこんなふうにもわもわと埃がたまっていたのだ。前回掃除したのはいつだっただろう。
あちゃー、と呟き、あわてて埃を払ってまわる。ほかの部屋の巾木にも埃がついていて、全部を取り除くのにはけっこう時間がかかった。
埃を落とした巾木。前よりも明るい印象になった。
巾木の埃がないだけで、廊下がくすみなくきれいに感じられる。小さなものだけれど、巾木一つで見え方も変わるんだなあ。
私は掃除好きでありながらも変にずぼらだから、巾木に埃がたまるまで放置してしまっていた。でも、根っからきれい好きな人は巾木の掃除までこまめにするだろう。もちろん、巾木以外の、目につくところはもっと丁寧に磨きあげるに違いない。
結果、すっきりしてクリーンな、美しい家が保てるのだと思う。
爪や髪をきれいに整えられる人は、それ以外のパーツにも丁寧に意識を向けられる人。すると必然的に、トータルで美しい人ができあがる。物事のディティールに注意を払える人は、全体の整え方も知っていることが多い。
神は細部に宿るって、こういう仕組みのことなのかもしれない。
いま、ボリュームのある仕事をしていて、私はどうにも大局にしか目がいっていないと自覚している。コンセプトや構成ばかり意識して、気づけば「あっ」と声を漏らしてしまうような小さなミスを重ねていることがある。
細部をおろそかにしてはいけない。かならずしも神が宿ってくれるかどうかはわからないけれど、小さなことを大切にできないと全体にも影響する。そう肝に銘じて、仕事部屋の椅子に座る。
でも、巾木だけは、また思い出す頃には埃が積もっていそうだ。ああ。
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