雪景色のメールに返信したから今がある
一人きりで過ごす人生でいいと思っていた時期がある。
若い頃、どうしても意思をうまく伝えあえない人がいた。ある男性の思いをわたしは受けとめられない状況だった。応えられないと、いくら心を砕いて言葉にしても、その人には伝わらなかった。
結局、わたしが怪我をする事態になり、その人には長い実刑判決が下った。
そこからは負のループだ。「そうは言ってもあなたにも落ち度があったんでしょう」と、はっきり言う人もいた。言わないまでも、わたしを「なにかヤバいことに巻きこまれたヤバそうな女」として扱う人も少なからずいた。
ループから飛び出すことができなくて、結局、7年おつきあいした恋人とも別れることになった。
「あーあ、自分でどうにもできないうちに一人になっちゃったな」。寂しさより、諦めがわたしのなかに色濃くあった。思いをどれだけ注意深くめぐらせても、予想できない事件は起こる。色眼鏡というものの存在を生まれてはじめて感じてもいた。
こんなことなら男の人なんていらないと考えるようになるまで、それほど時間はかからなかった。子どもだって、いらない。いつかはお母さんになりたいと思っていたけれど、その過程で男性とつつがなく心を通わせる自信なんてもうない。
地味で孤独でいい。一人で生きていきたいな。一年ほどは仕事に行くだけの生活を送った。友人からの誘いを断り、週末は家に引きこもっていた。
それでも、だんだん人に会いたくなって、週末も少しずつ家から出るようになった。待っていてくれた友人との集まりにも顔を出した。心がふくふくと弾力を取り戻していく。わたしはやっぱり人が好きだと思った。
ある冬、わたしの勤める会社にきてくれていた協力会社の人たちとの飲み会があった。こじゃれた場で開かれたその飲み会に来ていたのが、夫だった。
男性陣はある企業の同期で、全員が同い年だと聞いていた。にもかかわらず、わたしは夫を見て考えこんだ。
「この人、年をサバ読んでるんやないかしら?」
それくらい、落ち着いて見えた。実際、年に似合わぬ貫禄ゆえ、彼には「部長」なんてあだ名がついていたらしい。でも、どうせ男性はわたしの人生に関わりがないと思っていた。
翌朝、自宅近くのカフェでコーヒーを飲んでいたら、「部長」からメールが届いた。えーっと、メールアドレスだけは交換したんだっけ。
「今、滋賀県に釣りにきています。雪がすごくきれいです」
添えられていた写真には目を射る白い雪しか写っておらず、はっきり言ってなにがなんだかよくわからなかった。
けれど、白一色の写真を見ていたら、なぜか「ああ、この人はきっといい人だ」と思えた。雪の美しさを、昨夜はじめて会った人間に伝えようとしてくれる人。
その人が、夫になった。
夫婦だから、日々いろいろなことがあるし、結婚だけが幸せの形じゃないけれど、結婚してよかったと思う。いっときはなにもかもを諦めたわたしが、双子の娘たちにも会えた。
平凡でいい。信頼と穏やかな愛情で結ばれた人たちの気配を感じながら暮らしたかった。誰かと生きる幸せを諦めなくてよかった。
あのとき、一歩踏み出し、雪景色つきのメールに返事をしたわたしに「よくやった」と言いたい。冬眠を終え、一人ではつくれない世界に戻ってきたのだから。
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