リトル・グリーン・メンにさよならを
「パパの部屋にさ、リトル・グリーン・メンが来るんだよねえ」
夫が双子の娘たちにこう語ったのは3年前、コロナ禍のさなか。当時3歳の彼女たちは家で遊ぶことが多かった。わたしの仕事のほとんどは家でできる。夫も週の半分はリモートワークになっていた。
リトル・グリーン・メン(エイリアン)とは、ディズニー映画『トイ・ストーリー』に登場するアレである。体が緑色で、頭にアンテナがついたステレオタイプの宇宙人をキャラクター化したもの。絵本版の『トイ・ストーリー』が大好きな娘たちのお気に入りでもある。
彼女たちは不思議そうな顔で夫を見上げ、尋ねる。
「パパの部屋に? なんでリトル・グリーン・メンが来るの?」
夫のお芝居スイッチが入った。
「長女ちゃんと次女ちゃんにプレゼントを持ってきてくれたらしいよ。パパのお仕事中に窓から覗いてたから、お話ししてん」
「そうなん?」
「うん。はい、これ。預かったよ」
夫の手には、ぷっくりシールが並んだシートがのっていた。娘たちにとって「ちょっといいやつ」に分類されるシールだ。
「わー! リトル・グリーン・メンにありがとうって言って!」
3年前の娘たちは、そう言って大喜びでシールに群がった。
そこから、夫の部屋にリトル・グリーン・メンが遊びに来る(設定の)日々が始まった。
「リモートワーク中のパパの部屋には入ってはいけない」という決まりを守っていた娘たち。パパはときどき部屋の中でリトル・グリーン・メンと交信していると知ってしまった。
リトル・グリーン・メンはシールを持ってやってくる。夫がリトル・グリーン・メンと話す声が聞こえたら、シールがドアの下からすすす……と出てくる流れだ。
家にこもりがちな毎日に、ささやかな楽しみを。そんな思いから夫が始めたことだった。
しかし、わたしたち夫婦に悩みが一つ生まれた。これ、いつまで続ける? シールだって、最近はたまっていく一方になっていた。
考えた末、娘たちの幼稚園卒園とともにリトル・グリーン・メンにも役目を終えてもらうことにした。
先日、リモートワーク中の夫の部屋から大きな声が聞こえてきた。
「おお! リトル・グリーン・メン! えっ、わざわざ挨拶に来てくれたん?! そうかそうか、わかったよ。ありがとう、さーよーなーらーーー!!!」
夫渾身の、大芝居である。仕事は休憩タイムらしい。
娘たちが血相を変え、部屋の前へと駆けていく。リトル・グリーン・メンが? さよならなの?!
寂しげな表情をつくった夫が部屋から出てきた。
「リトル・グリーン・メンが地球を離れるから、もう来られないって。最後にシールセットをくれたよ」
両手には、100円ショップで買ったビニールバッグ。リトル・グリーン・メン風のイラストがプリントされていて、中にはシールが詰まっている。夫のお手製シールセットだ。
娘たちはしょんぼりしてしまっていた。このところ、彼女たちのなかでリトル・グリーン・メンフィーバーは下火になっていたものの、やっぱり悲しそうだ。「最後にありがとうって言いたかったな」。
今日の彼女たちは、もらったシールをおとなしくノートにぺたぺた貼って遊んでいる。こっそり話しこむ二人の声が聞こえてきた。
「あのさ、リトル・グリーン・メンって、パパやと思わへん?」
「えー、そうかなあ? どうやろ?」
「絶対そうやと思うけど!」
謎はいつ解けるだろうか。
とりあえず、リトル・グリーン・メンが我が家の窓をほとほとと叩くことはもうないようだ。あの暗く、閉塞感でいっぱいだった時期、リトル・グリーン・メンはたくさんの「ちょっといい」をくれた。姿の見えないエイリアンたちに、夫に、ありがとう。
春は卒業の季節。思わぬところにもさよならが潜んでいた。
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