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お砂糖たっぷりフレッシュロックに泣いた夜

感情の起伏はそれほど大きくないけれど、この1か月は少しだけ落ち込んでいた。いろいろと落胆することが重なったうえ、毎日のタスクもこなさなければならなかった。

とくにこのあいだの夜は気分が沈んでいた。「あーあ、なんかもうやだなあ」。そう呟きたくてたまらなかった。誰にでもある、ちょっと苦しい夜だ。

寝る前に気づいた。

「あ……、お砂糖。詰め替えなあかんやん」

お砂糖を入れた保存容器がからになってしまっていた。1キロのお砂糖を買い、タケヤ化学工業の「フレッシュロック」という容器に一部を移し替えるのがわたしのやり方だ。こうしておくと、だんぜん使い勝手がいい。

ただ、詰め替える手間はかかる。容器もいったん洗って乾かしてからでなくてはならない。いつもならちゃちゃっと済ませる作業が、疲れたわたしにはものすごく面倒に感じられた。野ざらしにしていた自転車のサビとりをしろと言われたときくらいの絶望感。

コンロ下の調味料入れをスライドさせて、フレッシュロックを取り出す。

「あ」

すでに詰め替えてあった。底がすっかり見えていたフレッシュロックに、8割ほどお砂糖が詰まっている。

どんなに疲れていても「さとう」と書く。
塩とお砂糖を間違えるはめになるので(経験者)。

夫だ。わたしの代わりに夫が詰め替えてくれたのだ。パッキンがきれいにはまりきっていないところを見ると、詰め替え前に洗ってもあるようだ。

もさもさと、たっぷりと、お砂糖が入ったフレッシュロックを見つめていたら、うっすら涙が出てきた。ここのところの夫は、とても忙しかったはずだ。

会社員のとき、仕事のことで落ち込んでいたわたしに「リラーックス!」と書かれた付箋つきのチョコレートをくれた先輩がいた。そっと手のひらに乗った小さくてきれいなパッケージを、わたしはロッカールームでじっと見つめた。

怒られるよりもずっとこたえた。自分の実力不足はもちろん、自分だけがつらいと思い込んでいたことが情けなかった。先輩が胃薬をいつも持ち歩いているのを知っていた。みんないろいろ乗り越えて、それでも人に優しくできるんだと感じた。

自分の無力さを痛感するのは、誰かに優しくされたときだと思う。

深夜、キッチンでお砂糖の詰まったフレッシュロックを前に、目にじわじわ涙をためていた。どう見ても不審人物のわたしは「よし、またがんばろう」と心に決めた。これが自分を鼓舞するということで、そうこうしながら毎日は続くらしい。

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