いつか思いきる日
今日も絶妙に思いきれなかった。なにがって、来年小学校に上がる娘たちのランドセル選びである。先日から、ランドセルを扱ういくつかのお店に足を運んでいるのだけれど、親子そろって決めきれない。
子育てにまつわるなにに対しても優柔不断で、最後には疲れてしまう。私に必要なのはきっと、思いきること。
私にとって「迷いのない人」と言えば、子どもの頃、祖父の家で一度だけ会ったガラス屋さんだ。
祖父の家には雪見障子があった。上半分が紙を貼った障子で、下半分は木枠に半月型のガラスが嵌まっていた。昭和の家に似つかわしい、レトロな障子。
そのガラスが割れてしまい、祖父はガラス屋さんを呼んだ。痩せ型のおとなしそうな男性の職人さんだったと記憶している。
私たち孫は「危ないから離れていなさいよ」と言われたので、少し距離を保ちながら、ガラスが修理されていくさまを観察していた。
祖父宅の雪見障子に必要だったのは、半月型のガラス。職人さんは持参したガラスを切らなければならなかった。
詳しい手順は覚えていない。ただ、職人さんは刃物をガラスに当て、スススッと動かしていたように思う。
その思いきりのよさに、ははぁーっと驚いたのが昨日のことのようだ。もちろんフリーハンドではなかったのだろうけれど、魔法みたいにガラスが切り出される様子は、私たちを感動させた。
その感動ぶりが伝わったのだろうか。離れたところにいる私やいとこたちに、職人さんが声をかけた。
「もう何十年もやっとうから、できんのよ」
そうか、何十年も経ったら、私もあんな見事な手ぎわでガラスを切れるんだ。何十年ってどれくらい?
もちろん、それ以降、私はガラスを切る修業なんてしなかったし、ガラス職人を目指したわけでもない。でも「職人技のようなもの」を目にして、何十年とやらの重みを感じるようにはなった。
私はなにごとにも不器用で、目の前のことしか見えない。だから、日々の仕事や育児に向き合い、できるだけ誠実に、着実にこなしていくしかない。ときには自分を楽にするライフハックに頼りながら。
けれど、それが「何十年」後には自分への信頼につながると信じている。いや、信じたいと思って、毎日生きている。
私もあと20年くらい経ったら、仕事や母親業にたしかな自信を持てるのだろうか。あの職人さんのようにはなれなくても、少しでも思いきりよく目の前のことをさばける日がくるのだろうか。そんな「いつか」を楽しみに、今がんばろう。
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