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私と彼女たちの人生にゲームを

思っていたより自分はずいぶん頭の固い人間だ。面白みもない。そう思い知る瞬間が、日常生活のなかにたくさんある。

たとえば、今朝。

幼稚園に行く時間が迫っているというのに、なかなか着替えようとしない双子の娘たち。登園準備がまったく進まない。「はだかんぼだじょー」「制服きるのめんどくさーい」とか言って、いつまでも下着姿または私服のままでギャハギャハ笑っている。手にはレゴ。着替える気はゼロに近そうだ。

「はーやーくー着替えなさーい!」

私の堪忍袋の緒が切れようとしていたとき、夫がぬーっと現れて、言う。

「さぁ、パパと長女ちゃん次女ちゃん、誰がいちばん着替えるのが早いかなー? 競争だ!」

リモートワーク予定の夫もまた、まだパジャマのままだった。寝ぐせ頭の彼を見上げたあと、目を輝かせて急いで着替え始める娘たち。そうか、この手があったな、と私は思い出す。なんでもゲーム形式にすると、ささっと取りかかってくれるのはこれまでの経験でよく知っていたのに。

どんなことでもゲームにして楽しんでしまう夫の精神を、私は心から尊敬している。彼によれば、家事も資格取得のための勉強も、ゲーム感覚で取り組むと悲壮感なくこなせるのだそうだ。たしかに、なにかに向かい合ったときの彼はいつも楽しそう。

一方、私は、いつも頭の片隅にせっぱ詰まった思いを抱えている。「こうしなきゃダメ、ああしなきゃダメ」のオンパレード。そもそもゲームに親しむ人生を送ってこなかった。

そんなところへ、夫や娘は教えてくれるのだ。着替えてくれないからといって、「着替えなさい」と繰り返し叫ぶだけではなんの芸もないし、そこに楽しみも面白みもない。

ダメ、じゃなくて、面白がってやってみようよ。「着替えなきゃ幼稚園に遅れちゃうよ」よりも「ゲームしながら着替えたら、そろそろ幼稚園に行く時間だよ」。そうすれば、きっと楽しい。時間の経過に小気味よいリズムが生まれる感覚さえある。

こうして、夫と私の決定的な違いを知る。きっと私の人生には、もっとゲームが必要なのだ。

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