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てりやきチャレンジの話

「絶対くる!とわかっている、こわいもの」がある。

私の場合、鶏肉やブリを照り焼きにするとき、タレをフライパンに投入する、あの瞬間のことを指す。

いい感じにこんがり焼けた鶏肉やブリが並んだフライパンに、砂糖とお醤油、酒、みりんをブレンドしたタレを回しかける。生姜を入れても美味しい。

そうしたら、ジュワーッ!と、フライパンが怒ったようにタレが沸き立つ。と同時に、飛び散るのが困りものだ。

タレの飛沫は、バチッと手に当たったり、エプロンの布地をかいくぐり、洋服にしみをつけたりと、けっこうな暴れん坊である。IHコンロトップをいつもきれいに保ちたい私にとって、照り焼きはめんどうな料理のひとつだ。

けれど、鶏の照り焼きは、娘たちの好物だからつくる。

嫌なこと、こわいことが絶対起こるとわかっていながらアクションを起こす。その向こうには、美味しいつやつやの鶏肉が待っている。某レシピサイトのご指示どおりにつくっているから、美味しく仕上がる。これが我が家の照り焼きである。

大人になると、必ず発生するだろうこわい事態と正面から向き合うことが減る。母に怒られるだろうとわかっていながらお稽古ごとをサボって『タイタニック』を観に行くとか、シスターの怒りを買うのを承知でミサをすっぽかして蓮實重彦を読むとか、そんなことはもうやらない。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」(危険やリスクを負わなければ、成功も得られない)ということわざもある。

しかし、大人になれば、わざわざ虎のすみかに突入する危険を冒さなくても済む方法をいろいろ考えつく。そして、回避策がまたかんたんに実行に移せるものなのだ。

それが避けられないのが照り焼き。「絶対タレが飛ぶよね! 飛ぶよね!」とびくびくしながら焼き目をつけ、結局タレは飛ぶ。

一連のびくびく感と落胆は、この年になるとなかなか味わえない。仕事でも、人間関係でも。ある意味、貴重な機会なのかもしれない。

とかなんとか、白いブラウスにくっきりとついた茶色いしみを見つめて、途方に暮れている。あーあ、次からはヘルシオさんに焼いてもらおうかな。

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