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すきま時間と仕事と。

今日の午前中は、娘たちがふたりで遊んでくれていたので、仕事を進めた。少し目処めどが立ったものの、集中しすぎてしまった。娘たちを公園に連れて行くのを忘れてしまい、反省している。

「すきま時間を有効活用して仕事をする」のが苦手だ。ほんの少し空いた時間で構成案をつくる、電車移動の時間にスマホで執筆する……、この手のことはあまり向いていないと実感している。今までの経験から。

すきま時間で仕事ができたらどれだけ効率的だろうといつも思う。どんくさい自分が情けない。

高校生の頃、なんとかすきま時間を活用して受験勉強を進めようと躍起やっきになっていた時期がある。単語カードなんかをポケットにしのばせて、すきあらば目を通してやろうとしていた。でも、成績はかんばしくなかった。

そんなとき、抜群に勉強ができる他校の友人が言った。

「すきま時間に単語カードをったって、やった気になるだけで成績なんか上がらんやろ。遊園地にまで単語カードを持ち込んで、アトラクションの待ち時間にめくってる奴ほど勉強できへんやん」

う。なんてひどい言いようだとクラクラした。私は遊園地に単語カードを持ちこむタイプ。反論できなかったのを覚えている。彼の主張は「やるときはやる。やらんときはやらん」だった。

ためしに私は、すきま時間に勉強しようとするのをやめてみた。勉強するときは勉強し、遊ぶときは遊びに集中する。すると、たまたまなのかもしれないけれど、少しずつ成績が上がっていったのだった。

これが性格的にも合っていたようで、今も同じスタンスのままでいる。

あくまでも私の場合だけれど、すきま時間を有効活用したつもりでも、それはわずかな作業量が累積しているだけだ。こなせた実務の総量で見ると、たいしたボリュームではないことが多い。さらに、質があまりよろしくない。作業量が累積したからといって、使いものになるとは限らないのだ。

なのに、心理的には「やってやったぜ」という感覚がある。この「やったつもり」がいちばんこわい(繰り返すけれど、あくまでも私の場合)。

きっと、私の要領が悪すぎることが原因なのだろう。あと、私には「やった気になって調子に乗る」ところがあるのもいけないのだと思う。

だから、すきま時間にはちょっとした掃除や片づけなどの作業をすることにしている。仕事はやらない。

「やるときはやる。やらんときはやらん」。あのとき、言葉の辛辣さに反感を抱くだけでは、前に進めなかった。彼のことをときどき思い出しながら仕事をしている。

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