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映画『父は憶えている』

2022年 キルギス他
監督 : アクタン・アリム・クバト

ストレートな邦題、キルギスが舞台ということ、またストーリーにも魅かれて、今年の最初の映画はこれを観ました。

出稼ぎ先のロシアから23年ぶりで帰国したザールクは、記憶も言葉も失っていた。何も言葉を発しない。表情も変えない。村の仲間や家族は一生懸命話しかけ時には外に連れ出して交流するが、目立った変化はない。かわいい孫娘との交流をきっかけに笑顔を見せるわけでもない。

ずっと表情を変えないザールクは記憶をなくした狂人のように見えたが、いくつかの”音”は彼の記憶に残っていたのだろう。子供がとびはねてあそぶ古ベッドのバネの音、木々のざわめき、懐かしい歌声・・・。そして、猛然とゴミ拾いをしたのは、散乱するゴミでよごれた目の前の場所を見て、何か強烈な違和感を覚えたからかもしれない。これではない、これではダメだと。

映画の終盤、孫娘との過ごし方にほんの少し変化がみられたのが微笑ましかった。また家族や村の仲間の彼に対する気持ちにも変化がみられた。
違和感のあるものを迎え、戸惑いながらも放り出さず見守り、語りかけ続け、受け入れて、共に生きていく人々。国がどこでも、人と人の心のつながりはかわらない。

言葉を失っただけで、ザールクは覚えていたのかもしれない。
 

上に書いたこの感想は、この映画をみた直後に感じだことではありません。
見てから数日間、時々ふとこの映画のいろんな場面が思いだされて感じたこと。映画館で観ている時にはただただ映画の世界に浸るだけで、感想を書くことなんて考えられない。

観ていた時に自然と頭に浮かんだのは、田舎の両親と近所の飲み仲間のおじさんやおばさんたち。飲みすぎて羽目を外して奥さんに怒られたり、夫婦喧嘩の最中に近所の人が来てばつが悪そうにしたり、怒られてもなお反省しないおじさんたちに家族も呆れたり。子供の頃田舎の町ではよくそんな光景をみたな、と。また、ザールクとその息子夫婦のやりとりも、国も文化も関係なく身につまされるものだった。

キルギスと日本、国も文化も風土も全然違うのに、どこかなつかしさを感じた。





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