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「私の一ヶ月」@新国立劇場をみたけれど。

新国立劇場で「私の一ヶ月」という、大学図書館の閉架書庫が設定の一部に出てくるお芝居を観劇してきました。一見、ちゃんとしたところの、ちゃんとしたように見える、お芝居だったはずなんだけど。

役者さんの演技など表面に出てるものの効果は素晴らしかったかもしれないけれど、観たあとの、私の残念な気持ちも強かったです。

この話、脚本の設定の一部に「大学図書館の閉架書庫」「(中途採用の)職員」が出てくるのですが、誤解を招くセリフや状況があります。

そのため、非常に動揺して悩みましたが、結局、文化庁さんの問い合わせ先を調べて、その上位組織である

文部科学省さんあてに、以下のお願いをお送りしました。

11月7日午前のことです。
いまはご対応くださるのを静かに待っています。

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先日、機会があり、新国立劇場で「私の一ヶ月」という劇の鑑賞をしてきました。
このお話、脚本の設定の一部に「大学図書館の閉架書庫」「(中途採用の)図書館職員」が出てくるのですが、大学図書館について誤解を招くセリフや状況があり、一般にひろく文化行政的には問題かもしれません。

大学図書館の学生バイトに対して職員が「時給の発生する休憩」と告げる、導入部の台詞は衝撃的なほど、現実の大学図書館の状況とかけ離れています。また、中途採用で、司書資格だけしか持ってない人が正職員になれるほど甘い業界ではないです。

解説冊子で脚本家の須貝英氏は「当初図書館は書店の設定だったのですが、ただ行き過ぎるだけでなく停滞している場所もあったほうがいいと考えて閉架書庫という場を選びました。」と語っています。須貝さんには、閉架書庫のイメージが「停滞」として伝わっているようです。でも、利用のために取り出す未来の瞬間まで、図書館資料を保存維持して使えるよう継続的に安定した環境を確保するのは、表層的には動きはありませんが、「停滞」ではありません。記録文化継承のしくみについてもっと知ってほしいです。須貝さんは、なぜ閉架になっているか設備の目的を全然ご存じないままに、作品をつくっている。
これは日本の文化的意識の未熟さを世界に広めることではないでしょうか?

なぜならば、このお芝居は、文化庁も主催者として、イギリスのロイヤルコート劇場が行っている国際的ワークショップを新国立劇場と協力してひらいた成果作品という側面で、解説冊子には英訳も併記されています。公演を英語音声ガイドをお客様には装着していただくことで、外国語を使用する方々にも広くお楽しみいただくことを前提としているようです。

日本の、閉架書庫の意味を勘違いした描写が、世界的に広まっていくのは、失笑を買いそうです。ちゃんと文化継承の熱意と専門知識をもって大学図書館の仕事をしている職員が多数いるのに、それを踏まえずに次の文化を作ろうとする劇作家は無知で傲慢だと思うし、日本の文化行政がわざわざ推薦していることは何かの間違いではないかと思います。

いまいちど公演内容をご確認のうえ、見直しの機会を設けていただけますようお願い申し上げます。

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