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「資格」と「仕事」、働く組織に採用されるということ。

「司書資格をとったのだから、それを活かした図書館の仕事がしたい。」

「やりたい訳でもない仕事はする気になれない」

こんなふうに就職活動で悩んでいる相談の書き込みを見かけた。
(その場所に対しては、私の意見をその場所に書き込んできた)

そう思う気持ちはわからないでもないけれど。


さて、就職のための応募書類や採用面接のさいに、この考え方や表現を受けとめて「採用する側はあなたを選んでくれるのかなぁ?」とは思う。

何人(何十人かもしれない)かの応募者があって、その中から選んでよいとなったら、採用側は、あまりこういう人は選ばないと思う。

私じしんも、若いころの就職前後の気持ちや考え方は多かれ少なかれ、「自分は専門の勉強をこれだけしたのだから、それを活かした仕事がしたい」と思っていた。正直なところ、今でもそういう部分はあるし、自分の勉強したことが間接的にときどき、仕事の出来に現れたな、と感じたときは、うれしい。


だけど、だ。

就職のための応募書類や採用面接で、「選ぶ側に選んでもらうこと」にピントを合わせてもう少し、応募者としての考えを練ってみるとすると、これは受け手に「そうだよねぇ。あなたはそう思うかもしれないね。」と思ってもらえても、資格を取ったとか勉強してきたとかいうのはあなた側の都合にすぎない。「じゃ、こっちに来て一緒に働きましょう」とは言ってもらえない考え方なんだというのが、実際の仕事の経験を30年近く重ねてきたいまの私にはわかる。

なんていうか、ワカルんだけど、資格を取ったからその仕事をする権利があるかのように言い切ってしまう考え方は、現場の採用側からすると、一緒に仕事をしにくいとも思う。世話の焼ける部下、というか。


きっと、なんの仕事でもある程度は言えることなのだが、
仕事というのは、自分がやりたいことをする場ではなくて、他の人がしてほしいことを、自分の能力でさせてもらってお金を得る、という場や機会なので。

若くて一生懸命なあなたは(昔の私も含めてだけど)、やる気はあるのかもしれない(笑)けど、仕事という場では、必ずしも自分のやりたいことができる訳じゃない。他者からのニーズを満たしてこそ、仕事として成り立つわけで。そこのところで、原則、主役はあなたではなくて、あくまでもお客さんや周囲の上司や同僚たちだ。

あと、自分が資格をとったことや勉強したことにこだわり過ぎるのも、組織の中に入ったら同僚や構成員が当然もっているだろう資格や知識なので、あまりよくない。

運よく採用されたとしても、新入りは必ずしも、図書館らしい仕事ばかりではなく、雑用もたくさんあるし、、いや、経験を積んだベテランでも図書館らしい仕事だけじゃなく、図書館らしくない雑用もこなせてこそ、ちゃんと役目を果たせる感じなんだと思う。
何でもできるかどうかは別の話だけれど、それでも、「何でも一緒にやりましょう」、とついてきてくれる人が、やっぱり組織としてはうれしいだろう。


なんというか、自分の立ち位置を客観的にとらえなおして、謙虚に仕事というものに向き合っていけると、採用側から、「一緒に仕事をしましょう」と言ってもらえる感じの心持ちや考え方に変わっていけるのかもしれない。

もっともそれはスタートラインのことではあるのだけど。

ひとが組織に入っていこうとするときの、若くて未熟な部分というのは、わりとこういう違いに出るのだろうな、という気がする。もうすこし視野を広くして、柔軟にものごとを考え直していきましょうよ、というところ。

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