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周り5センチを整えてみる。

私たちは、思っているよりもはるかに様々な刺激に触れて生きています。
中には当たり前すぎて「刺激」とも捉えていないような事柄もあるかもしれません。

例えば朝起きて目を開けた時に目にする光や、闇。
お気に入りの靴下の素材、手を洗う時に触れる水の温度。
ご飯を食べるときに持つお箸の硬さ、空調から出る音。

つい先日、頭の棚卸しを手伝ってくださる方との会話の中で
私が1日の中で「嫌だな」と思う瞬間を探すというプロセスがありました。

「うーーん。人の悪口を耳にしたり、否定的な文句を聞くことですかね。」

そう答えたのですが、口にしたと同時に、これって解決の仕方はいっぱいあるなと思うわけです。

その人・環境から離れることも可能だし、話を100%聞かない(流す)スキルを使うことも出来るし、そんな話はやめませんか?と提案することで解決できるかもしれない。

結局のところ、自分以外はコントロールできないのだから、その範疇で可能な選択肢を考えてみる。

そのうちの一つに「自分の周り5センチを整える」というアイデアがあります。

冒頭にも申し上げた通り、私たちは日々生きているだけで無数の刺激に出会っています。

そのうちの一つ、些細なことかもしれないけれど、そのたった一つが自分にとって「不快」なものだったとします。
(その不快感は自覚していない場合も多々あります)

例えば
ベッドから降りた時の床がいつも冷たい、とか。
髪の毛が常に頬に当たってかゆい、とか。

そんなレベルの不快が「蓄積されること」で、他の場所でストレスを強く感じてしまうってことがあるのは紛れもない事実ではないかと思うんです。

「今日も床がひんやりしてるな、寒いな。」

それをずーっと感じてるんです、意識的にも、無意識的にも。

その積み重なった「なんか嫌だな」が「この人と話してると楽しくないな」とか「この人の話はいつも生産性がないな」に繋がってる可能性があるってことです。

だから、自分の1日をもっと因数分解して、その不快を取り除いていく作業をします。

すると、意外にも「悪口を聞く」ことがさほどダメージにならずに過ごすことができるようになるかもしれません。

言葉を選ばずに言えば「なんか、どうでもよくなる」感覚でしょうか。
それ以外の自分が楽しいと思うことや嬉しいと思うことにフォーカスする余力が生まれる様な。

実際に、私は肌着を化繊から綿100%に変えただけで、気持ちの流れが変化しました。ニュートラルな状態を保ちやすくなったんですよね。

もちろん、個人差はありますし、必ずしも自分の抱える課題(だと思っていること)への因果関係があるとは言えません。

ですが、自分の整えられる範囲を無視し続けていては、持ち得る選択肢を狭めていることになるんじゃないかなと思います。

香り、音、味。

日常を因数分解することで見えてくる自分の生活や価値観を、一つずつ「心地よく」していくことで、気がついたらなんだか毎日元気に暮らせるんじゃないでしょうか、という提案でした。

最後に、念の為補足します。
私は、悪口も文句も、時として声に出すことは全く否定しません。私もあります。ただその頻度、意図、理由などで「嫌だな」と思う場面に遭遇するのが苦手です、という釈明をさせて下さいませ。



支えられて生きています。いつもありがとうございます。