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進むために、少しづつ過去の事を話していく。【不登校編 その2】

こんにちは。コハルです。
書きたいけど書けなかったテーマの【不登校】についてです。
自分自身を認めていくために、そして整理を進めるために書いていこうと思います。

※注意※
ネガティブな感情や内容を含んでいます。読む方によっては、嫌な記憶が蘇る引き金になる可能性があります。

詳しくはこちらから↓

自己紹介でも触れましたが、私は高校時代に半年間の別室登校期間があります。
厳密な不登校ではありませんが、できる事なら登校せずに逃げたかった時期です。

【不登校編 その1】はこちらから↓

残りの高校生活をどう送るか?高校卒業のために出席日数の問題。

高校生活、最後の半年間を別室登校という形で過ごしました。
親への相談が苦手だった(というか心配をかけることが嫌だった)私は、後回しにしていました。しかし、卒業するために出席日数の兼ね合いから、どうしても親への相談が必要となります。私にとってハードルが高い親への相談。先生から連絡をしてもらい、面談を設定してもらいました。

面談内では私の現状や今後どうするかについて話が進められます。
面談には母が参加しましたが、信じられないといった様子。
「私がもっと話を聞いていれば…」と母は言っていましたが、私からすれば親へは相談できる状況ではなかったし、したくなかったというのが答えになります。(無意識的に見捨てられ不安が作動していたかも…)

話し合いでは出席日数をカバーするためには診断書が必要で、診断書をもとに別室登校を出席扱いとすることが決まりました。

母親が予約をとってくれたのは近所の心療内科。
話の聞き取りと、質問形式の検査を行い(抑うつ状態の尺度を図るものだったかと)、診察の結果【適応障害】の診断がつきました。薬の処方はなく、診断書を発行してもらうことが目的になっていた気がします。

ちなみに、適応障害とは下記のような状態や症状です。

日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態をいいます。ストレスの原因が明確であることが定義上重要となります。

症状はゆううつな気分、不安感、頭痛、不眠など、人によって様々ですが、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらは一般的には正常な人にも現れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

e-ヘルスネット(厚生労働省)

この診断が下ったのは私にとって嬉しく、診断書が発行されたことで、ここ(教室以外)で過ごしてもいいですよと許可が降りたような感覚です。
自分が居ても良い場所、学校内に比較的安心できる居場所ができたような感じがします。

みんなと同じ時間に登校する難しさ

教室ではなく別の場所を確保できればOKという話ではありません。
私の場合は、登校中に見える他生徒(面識がない人)すらも刺激になってしまい、急に泣き出す・悲しくなる・落ち込む・動悸がするなど様々な反応が現れました。その為、同じ時間に登校することが難しく、時間をずらして登下校を行なっていました。事情を話すと先生方も了承して頂けたので、本当に感謝です。

登下校の問題以外にも授業への参加が難しいため、学習の遅れがありました。
困ったのは学習の遅れの他に、勉強しようと教科書を開くと、教室での記憶や言われた過去の悪口が蘇り、気分が落ち込む悪循環に陥っていたことです。自分自身の体調に合わせて、できる時に行うぐらいのペースで勉強には取り組みました。

定期的に話を聞いてくれたスクールカウンセラー

別室登校中は月に数回スクールカウンセラーの訪問があり、現状の相談やセルフケアの方法を考えるなど支援していただきました。
嬉しかったのは【否定せずに話を聞いてもらえた事】です。
親に話をするとどうしても「こうすれば?(ズレた提案)」「親戚の○○はクラスでイジメがあったけど立ち直ったって(だからあなたも大丈夫)」のように、私の話を受け止めてもらえない感覚がありました。
担当の先生やスクールカウンセラーとの出会いは『こうやって向き合ってくれる人もいるんだ』と思える体験になり、頼ることが苦手な私にとって【少しだけ誰かを信じてみるきっかけ】にもなりました。

別室登校の許可を得たこと、カウンセラーを利用できたこと、登下校の時間に配慮してもらえたこと、など色々とサポートを受けて、なんとか高校を卒業できる見通しが立っていきます。高校在学中は何度も「消えたい」と考えていましたが、実行に移さなかったのは、支援に繋がったことが大きいと思います。

長くなったので続きは後日。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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